違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

見せびらかしたい人は、見せびらかされてるものをスルーできない

JALの昔のファーストクラスの豪華さを写真で伝えるツイートが流れてきた。

 

単純に昔の日本結構すごかったなと思ったし、そのツイートへのリプライには元スチュワーデスだったと思しき方の解説もあっておもしろいと感じた。

 

そんなリプライの中にあったのが次のツイート。

 

 

x.com

 

 

なるほど、写真はリンク先の記事から引用されていたのだ。

 

しかし、盗んだのかという不快な思いは感じなかった。

 

これが盗用になるのかの解釈はわたしには分からないが、わたしがこの記事に一人でたどり着く可能性はほぼなかったので、ツイートで写真が見れたことは良かったと感じてる。

 

ネットやSNSの普及で、『それは盗用だ』『わたしのが盗まれた』は悪意の有無に関係なくそこかしこで起こるようになってるはず。

 

ネットなど無い時代の文学や美術の世界では、『その作品は君の名前で発表しても売れないが、わたしの名前で発表すれば必ず売れる』、このような遣り取りが多かったと聞いたことがある。

 

然もありなんな世界観だ。

 

 

良いか悪いか、正しいか間違ってるか、という話がしたいわけではない。

 

されると不快になることをしてしまう、誰にだって起きる話だ。

 

されると被害だと思うならば、被害に遭わないようにするのは自己責任として、前もって心がけるべきだ。

 

被害に遭わないように心がけることと、その対処は、不可分のセットだ。

 

『法的に訴えるぞ』という対応は強者の理屈っぽいが、実は前もっての対処がお粗末だっただけでカッコ悪いだけのもの、もしくは被害を装って訴えることが本来の目的で、獲物が罠にかかるのを待っているかのどちらかだ。

 

 

昔のJALの写真に戻ると、写真の著作権やオリジナリティを守りたいならばウォーターマークを入れれば良いというのが基本だが、ウオーターマークが入った写真は商業臭を発して、見た人の興味を半減させる。

 

つまり、下心の葛藤が生まれる。

 

泥棒が寄って来るのは嫌だが、御自慢のものは見せびらかしたいという葛藤であり、コレクター心理だ。

 

コレクター心理は、好きなものを集めそれを見せびらかしたいに留まらない。

 

本質は見せびらかしたいというところにあるので、世間で見せびらかされてるものへの興味が募る。

 

見せびらかされてるものの代表格が各地にある映えスポットや特定の趣味の分野における聖地など。

 

毛色違いとして行列のできる店やイベントもある。

 

 

見せびらかしたい人は、見せびらかされてるものをスルーすることができない。

 

人が集まり激しく混雑するような場所やイベントにわざわざ集まる人たちは、ただ好きが理由で集まってるわけではなく、コレクター心理に突き動かされてるのだ。

 

コレクター心理という切り口に気付いたら、それまでまったく理解できなかった他人の行動が少しだけ理解できるような気がしてくる。

 

理解はできても共感できない場合は、コレクター心理のツボが違い過ぎてるからなのだろう。