分かってほしい、
理解してほしい、
納得してほしい、
これらの思いの根底には“説得したい”がある。
どんな表現であろうと、
長文だろうが、
短文だろうが、
絵や図を用いようが。
これらを総合した代表格がパワーポイント。
そんなパワーポイントは、もう役割を終えたと言われるようになっている。
パワーポイントで提案される人が、そんな手に乗ってたまるかと無意識に身構えるから。
結果としてもはやパワーポイントで説得される人は限りなく減少している。
パワーポイントでプレゼンしようと考えることが敗因になるということは、説得は難しいということを意味する。
世間は学習してるのだ、説得しようとすることと騙そうとすることはほぼ同じだと。
俳句の世界では説明表現は評価されない。
想像力の出番がないと読後の余韻もないから。
俳句は読者に想像させなければいけない。
しかも季語を含めて17文字で。
パワーポイントも17文字に制限されたらずいぶん違ったものになるだろうが、そうなったら別にパワーポイントである必要すらない。
最近のルフィに代表される劇場型詐欺や強盗事件もシナリオはパワーポイントで文字数ぎっしりに書かれていたのではと思えてくる。
説得させようとするものには碌なものがない、そういう時代なのだ。
格差の時代だからこそ上から目線は嫌われる。
実際には上ではなくても、上的な振る舞いは警戒心を持たせるだけ。
童話の北風と太陽に例えると、説得は北風的なのだ、あくまでも現代は。
時代が変わるとそうではなくなるかもしれないが。
相手をその気にさせたければ想像させよう、魅力があるなら想像させる方法なんていくらでもあるが、魅力が無いなら諦めて説得するしかないだろう。