『継続は力なり』、この言葉が悪い意味で使われることはほぼないが、いくらでもネガティブに捉えることができる。
腐れ縁や悪しき人間関係の継続を断ち切りたいのに断ち切れずに苦しんでる人はきっと多いはず。
あるいは、一時はライフワークとばかりに時間とお金を費やした趣味やコレクションを持つ人も、止め時が分からないという意味での腐れ縁を感じていることだろう。
望むと望むざると、継続した腐れ縁は自他ともにプロフィールに欠かせなくなるのでアイデンティティと結びつくことが少なくない。
ネット上に公開されたデジタルな記録が消えないタトゥになるように、継続もタトゥ化の要素を孕んでいる。
タトゥが意図通りに解釈されるなら歓迎できるが、意図に反した解釈しかされないとすると後悔先に立たずだ。
継続するものには伝統や習慣もある、企業なら社風、学校なら校風もある。
継続が歓迎されるものもあれば、歓迎されないものもある。
歓迎される事であっても継続することにはエネルギーを使うのでストレスになり得るが、歓迎されないことに携わる事は良い評価につながることが少ないのでストレスの度合いがさらに大きい。
ストレスを減らしたいと願うと力が欲しくなる。
そうだ、継続は力なり。
その場合の継続は限りなく束縛に近い。
ストレスから逃れるために力を欲する人を、新たなストレスに飛び込んで行くというストレスの無限ループが待ち受けている。