違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

〇〇離れはもっと歓迎されて良い

『〇〇離れ』は枕詞として『若者の』が付くことが多い。

 

本離れ

 

車離れ

 

恋愛離れ

 

 

などと。

 

 

それに対しては、『お金の若者離れ』が起きているからという指摘も少なくない。

 

若者に起きているであろうことは、きっと全年齢に波及してるだろうし、そうなると年齢は関係ない。

 

〇〇離れを嘆くのは、離れられて市場が縮小することに直面してる業界だというのは分かりやすいが、逆にいうと時代の変化に対応できてないが故に招いた現象でもある。

 

本離れは知性の喪失のように言われるが、知の象徴である一流大学や高度な研究機関ですらお金離れに苦しむ話が少なくない。

 

〇〇離れは起き始めると、部分の問題ではなく全体に波及するのだ。

 

さて、問題はそれによる不都合は何かだ?

 

絶対沈没しないと言われたタイタニックが沈没したのは氷山に衝突して物理的に損傷を負ったから。

 

〇〇離れが起きるのは、何らかの損傷が発生したからだろう。

 

その損傷をどのように捉え定義するかで見え方は大きく変わる。

 

損傷は修復されるか致命傷になるかだ。

 

修復されても元に戻るとは限らない、別の何かとして生まれ変わることもある。

 

従前の状態にこだわると、別の何かに生まれ変わることは死と等しいという場合もある。

 

 

〇〇離れが起きてどんな不都合が起きるのか?

 

変化が起きるのは当然として、不都合が起きるとすれば執着や依存が強い人の身に起きるだろう。

 

執着も依存もない人にとっては、楽しみながらの試行錯誤で代替できるものや事を見つけるはず。

 

〇〇離れを脅威的な不都合に感じてる人は淘汰される人だろう。

 

〇〇離れで代替を見つけられる人は変化に適応したということになる。

 

ただそれだけのことなのだ。

 

淘汰される人というのは、淘汰された方が(社会や世の中にとって)良いという人でもある。

 

 

だから、〇〇離れを嘆く必要などない。