違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

立体をイメージする能力

日本では主要科目のテストの点数が高いことが評価されてきた。

 

主要科目から外された分野の能力は『それができて何の役に立つ?』という扱いを受けてきた。

 

不遇の扱いを受ける分野は十把一絡げにアートと括られるジャンルの能力。

 

アート系の能力を活かして高い評価を受ける人は憧れの対象でもあるが、確率的にはプロスポーツのトッププレイヤーに匹敵するぐらいのレア度があるはず。

 

分かってはいたことだが最近再認識させられているのが、私には立体をイメージする能力が乏しいというか鍛えられてないということだ。

 

 

遊びとして安い3Dプリンターでも買ってみようかとあれこれ検索していて、3Dプリンターを探す前に印刷するための元データを作れることが重要なことに気づいた。

 

3Dのモデリングをするソフトはピンからキリまで多数あるが、評判がいいソフトはそれなりの価格でしかもサブスクリプションが多い。

 

もちろん私の場合選択肢はフリーソフトのみだ。

 

フリーソフトはかなり機能が限定されるので自由自在とは行かない。

 

 

適当に一つのソフトを選びそれで遊んでいるが、そのソフトは最初に立方体や球体のベースが与えられそれを削って加工するという作業になる。

 

日本語で丁寧なマニュアルがあるわけではないので適当にいじりながら操作を覚えることになる。

 

そもそも私には作りたい完成形のイメージがあるわけではないので、やってることは子供の遊びそのものだ。

 

子供の遊びとしてレゴのようなブロックで組み立てるものがあるが、私が今やってることはその逆で、多数のブロックの塊からブロックを抜き取りながら目的とする形に近づけるという作業なのだが、その目的とする形(サイズも含む)のイメージが無いというか作れない。

 

ただ作業自体は楽しいのだが、どこに向かっているのかがピンとこないとともに、これでは3Dプリンター買っても宝の持ち腐れだ。

 

 

昔オートバイに乗って改造に夢中になりワンオフの特注パーツなどもオーダーしたことがあるが、依頼してる私の完成形に対する漠然としたイメージを製作者はどういう気持ちで受け止めていたのだろうかと今更ながら思ってしまう。

 

製作者側には一定の雛形イメージがあり、その中から適当に見繕っていたのだろうが、その作業をこなすためにはそれなりのセンスと経験の蓄積が必要だったはず。

 

 

3Dプリンターで遊べる日は一体いつになるのだろうか?