図書館に行って本を物色してると、少し離れたカウンターの方から何やら迫力のない大声が聞こえてきた。
おじいさんと思しきその声の主はしきりに何かを訴えているようだが、声は大きいがよく聞き取れない。
図書館の係員が最初は一人だったようだが、見かねた他の係員も対応に加わったようだ。
この時点までは間に本棚がいくつもあるのでカウンターの様子は見えない。
おじいさんの『なんでこんなに大勢に囲まれなければいけないんだ』という声が聞こえて、わたしのゲス心は抑えが効かなくなりカウンターが見える位置に行った。
直接見える位置まで行くとおじいさんの声はモゴモゴしてるが結構大きいことが分かった。
あくまでもカウンター越しの話し合いでおじいさんが囲まれていたわけではいないが、係員は男性1名女性2名で最初は女性1名で対応していたはず。
係員の対応は穏やかで威圧的な様子は皆無なのだが、おじいさんは激昂している。
話の内容が分かると、どうやらおじいさんは自分が読みたい本を探せないらしい。
おじいさんの断片的な情報から係員が何冊か提示したようだが、それではないと言う。
係員が、『探すには著者名もしくはタイトルを教えて下さい』と繰り返すが、おじいさんは著者もタイトルも答えられない。
ただ、昔読んだことがある本をもう一度読みたいと繰り返すだけで、『そんな簡単なこともできないのか』と興奮していたのだ。
昨日から市長や町長の老害的パワハラがワイドショーネタになってるが、老害のパワハラは末端でも活発なのだ。
図書館の係員は立場上声を荒げることもできず、メンタルやられるだろうなと思うと気の毒だった。
また、将来自分がこのおじいさんのようになったらどうしようかと思ったら、それだけで憂鬱になる。
ハラスメントの被害に遭うのはもちろん嫌だが、加害側になるのはもっと嫌だなと強く思った。
ハラスメントの加害側は、瞬間的にはその場を制圧してるかのように見えるかもしれないし、だからこそ力を誇示したようで一瞬は気持ちいいかもしれないが、現代ではそれは倍返しで跳ね返ってくるし、図書館のおじいさんのように本当は不甲斐ない自分への怒りを他人に向けてるだけになると、ますます深く闇落ちするだけだろう。
人の振り見て我が振り直せって深いなと思った。
他人から『あんなふうにはなりたくないな』と思われる生き方はしたくないものだ。