スマホの登場前の時代でもすでに無料というジャンルは広まっていた。
ネットニュースがあるから新聞は必要ないと言われるようになっていたし、PCのソフトも気の利いたフリーソフトを使っている人の方が賢く見えていた。
2009年には『フリー(無料からお金を生み出す新戦略)』という本が話題になっていた。
フリーからお金を生み出す代表格でもてはやされたのがYouTubeだろう。
YouTuberは今でも小学生にとってはなりたい職業のトップらしい。
https://benesse.jp/juken/202212/20221201-1.html
しかし、儲かってたYouTuberの「もはや儲からない」という嘆きの声は増えている。
YouTubeのコンテンツ作成にはコストが掛かったとしても、YouTube自体は無料で使えるもので、無料だからこそ視聴者は見ているはず。
いわゆる一般のテレビと同じ構造だ。
小さな画面で見ていたYouTubeに対して大画面のテレビという棲み分けは最近はその境が取り払われた。
家電としてのテレビがPCの領域に踏み込み始めたからだ。
やり方の上手下手はあるにしても、無料から始めるというビジネスモデルが脚光を浴びて15年が経つ現在では昔ほど魅力的なコンテンツではなくなっている。
だからこそ画面サイズがコンテンツとしての武器になるのだろうが、その評価はコンテンツとしては微妙。
YouTubeに限らずすべてのコンテンツが魅力の喪失という壁に直面してるはず。
表面的な多様化の浸透による分散化の影響も大きいだろうし、暇な人はますます暇になり時間潰しが必要だが、忙しい人はますます忙しくなり時間的に余裕がなくなり、また心の余裕がない人もますます増えているのでそういう人は自分の興味や関心を喪失してるだろう。
コンテンツを提供する側にとってターゲットになるのはある程度の可処分時間が持ててかつ自分の興味や関心に対してモチベーションが持てる人だけという限られた人だけになってるのかもしれない。
そういう属性の人の時間とお金を奪おうと各種のコンテンツが仕掛けられてるが、試行錯誤を抜け出せないものばかり。
フリーの壁を考えていたらコンテンツの壁が見えてきた。