違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

相対性を気にする人の末路

人間は比べる生き物。

 

比べるとは比較すること。

 

自分と他人をだ。

 

アカデミックな物言いをするなら絶対性よりも相対性を気にして一喜一憂するのが人間だ。

 

つまり、自分なりの目的や目標を設定しその進捗や実現に一喜一憂するのではなく、他人と比べて一喜一憂するのだ。

 

一喜一憂の中身は、自分の方が上回っていると思えれば喜び、比較した相手の方が上回っていれば憂うというシンプルなもので、思春期以降だと老いも若きも関係ないし、もちろん男女の違いもない。

 

心理学の歴史的には、『他人の不幸は蜜の味』に代表されるものだったが、21世紀に入った日本では長期に渡るデフレや不景気の影響だろうかむしろ『他人の幸せはメシがまずい』の方が勢いが感じられる。

 

日本では『金持ち喧嘩せず』のように、上回っているという自覚がある人は無益な争いは避けるという処世術があったが、21世紀の上回ってる人たちは好戦的になっている。

 

自分の方が上だとマウント合戦に夢中になる人はますます増えてるように感じられる。

 

しかし、そんな人たちも自分より上回ってる人に出会すと普段自分がしてることは棚に上げて、『他人の幸せはメシがまずい』と反応する。

 

 

『他人の不幸は蜜の味』と『他人の幸せはメシがまずい』は、ともに比較に一喜一憂するという意味では同じようなものかもしれないが根本的な違いがあるようにも感じる。

 

 

相対性に囚われた人の99%の末路は哀れになるような気がする。