違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

和の尊さが原点に戻っている

人間が動物と違うことの一つに道具を使うというのがある。

 

道具の使いこなしには手先の器用さが必要だが、その道具で何をするかにはむしろ頭の良さの方が重要だ。

 

それを可能にしたのが二足歩行により手を解放し自由にしたことだ。

 

手を活かして器用さを発揮するためには、知恵や経験や体験を総動員した上でのセンスの良さや計算力が必要になる。

 

 

そうして長年培われた人間の道具使いの歴史は、機械化、自動化、AI化によってどんどん過去のものになっている。

 

悪い言い方をすると、道具を使いこなすというレベルまでは人間の能力を高めたが、機械化自動化AI化は、人間の能力を必要としない領域を拡大させ、結果として一人の人間の持つ総合力を大きく劣化させている。

 

 

このことを、良いことだと捉える理論武装が今こそ必要だ。

 

 

現在人間に残されてる領域は、機械化や自動化やAI化するためのコストが割に合わない軽作業か、実現がまだ困難な領域だけだ。

 

自動運転などはまだまだ実現へのハードルが高いのは分かりやすい。

 

現在存在する高い給与なのに使えない中高年はおそらく定年で追い出すのが最も低コストで済むという判断も働いているだろう、再雇用や延長雇用時の評価が本来評価だ。

 

おそらく企業や組織に良きベテランの居場所がなくなってるはず。

 

良きベテランとは、社内の事情に精通し、取引先の事情に精通してるような人。

 

良きベテランとよく似た存在なのが受験勉強だけができた人や資格だけを持ってるような人。

 

 

この良きベテランは、少し事情が変わると目の上のたんこぶになりやすい。

 

たんこぶは目の上にあっても目の下にあっても不快なことに変わりない。

 

たんこぶの位置は人間関係に序列があるかぎりどこにあっても障害になる。

 

 

人が人間関係の中で存在価値を保つために必要なことは大きく3種類ある。

 

  • お金や権力を持つ

 

  • 必要とされることに関して高い能力を持つ

 

  • 好かれる

 

 

3つ全部が揃うと最高だが、一つあるだけで十分だと思いたい。

 

 

この3つの中で万人にチャンスがあるのは好かれるだ。

 

 

右肩上がりで伸びてる時は、自分の好きや得意を伸ばすことで簡単に活路が拓けるが、そのことは無意識のうちに嫌いや苦手を排除することになる。

 

もっと言うと、敵を作ることで自分の価値を明確化するようになり、主張を曲げないというようになる。

 

 

そういう生き方が多分通用しなくなる。

 

嫌いな人に媚を売れという話ではなく、敵を作ってまでも自説を押し通すようなことは損にしかならないということだ。

 

 

そういえば和をもって尊しとなすなんて格言もある、聖徳太子が言ったとされる。

 

和をもって尊しとなすなんていうと、談合や悪いことに関する共犯意識のように使われがちだが、その意味が本来のものに変わり始めるのがこれからだ。

 

機械化自動化AI化の結果、人間は聖徳太子の言葉に戻るというのは温故知新で悪い気はしない。