人間にはほぼ全ての人に共通するレベルで本能が備わっている。
そんな本能の上に、遺伝を含めての生い立ちや、教育を含めての体験や経験が加わり個々人の性格が形成される。
そんな性格を踏まえて独自の価値観や処世術が生まれ、それらを総合して日常生活を送る上でのキャラクターが出来上がる、キャラクターレベルでは演じたり使い分けることも可能だろう。
しかし、多くの人は本能も性格もキャラクターも区別することなくごちゃ混ぜで使っている。
なんでこんなことに執着するのだろうかと思うことの多くは、本能や性格レベルで深く刻まれているとするなら、下手に克服しようと抵抗すると心を病むだけだろう。
それは性格だからしょうがない。
その性格を活かすことを考えた方がストレスは少ないはず。
攻撃的だから、あるいは攻撃を受けてばかりだからストレスが多いとは限らないし、他人の目からストレスが無さそうな生き方をしてるからといって本人にストレスが無いとは限らない、ストレスが無いことがストレスということがあっても不思議はない、性格やキャラクターの不思議だ。
性格やキャラクターと生活や行動が一致してるとストレスは減る傾向が強く、一致してないほどストレスは強くなるはず。
WBCの決勝戦を前にチームメイトへ大谷翔平さんが言った『憧れるのをやめましょう』は、無用なストレスを抱え力むことなくリラックスすることの大切さを知っていればこそ発されたのだろうし、あの時のメンバーの性格やキャラクターからすると素直に響いたはずだ。
過剰に喜怒哀楽の感情が盛り上がることは、それが喜や楽であっても心のアンバランスを促進するだけの場合がある。
反対に、良いことだとされない怒や哀が心の平静を維持するために必要な人もいる。
悲しい映画やドラマを見て泣くことが好きだという人の話はよく聞く。
怒ることの効果が大声を出すことなら、カラオケで大声で歌うことと映画を見て泣くことはまるで違うことだが、性格やキャラクターによっては同じ効果をもたらすのだ。
カラオケが向いてる人が泣ける映画を見てもストレスが溜まるだけだろうし、逆も然りだ。
サンプル数が多ければ多いほど分布は均等になるという考え方からすると、どんな時代であっても時代のベクトルが性格やキャラクターに合わないという人が半分はいることになる。
今の世の中を生き辛いと感じるならば、とりあえず世の中のベクトルを理解し、そのベクトル上にはない楽しみを見つけることが大事だ。
自分の性格やキャラクターをきちんと踏まえられると憧れたり争ったりしてはいけない対象が見えてくるはず。