人為的に作られたものは、それがモノであろうとシステムであろうとその他何であっても、そしてそれらが善であろうと悪であろうと、意図があろうとなかろうと、秩序が宿る。
秩序はルールや規則や法律とほぼ同じで、ほったらかしでは維持できないためメンテナンスが必須になる。
栄えた文明が崩壊したのは、作ることよりも維持するためのメンテナンスの方がはるかに困難だったからだろうと思うとなんとなく納得できる。
秩序立てて作られたものが天災や自然災害や戦争で崩壊する様を見ると、今さらながらすべてのものは無秩序に向かうというエントロピー増大の法則を思い知らされる。
自然界に存在するものの宿命で、命があろうがなかろうが有機物であろうが無機質であろうがだ。
老化に抗うことは意識高い行為とされるが、エントロピー増大の法則に則るならばまったくの無駄な抵抗となる。
正当化できるとすればごく短い時間軸で捉えるような場合だけに限られる。
あらゆる生き物の中で人間だけが積極的にエントロピー増大に抗って生きている。
作っても作っても、どれもこれも遅かれ早かれすべて無秩序化しその存在を失う、人間が作れるのは所詮そんなものばかりなのだ。
そうと知っても、人間である限り見果てぬ幻想のように秩序を追い求める、それが人間なのだ。
だからこそ楽観論も悲観論も成立する。