違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

一生モノを決定づけるのはモノの側ではなく自分

今週のお題「一生モノ」

 

 

誰でも一言物申したくなるようなお題かもしれない。

 

 

 

さて、一生モノの反対語は何だろうか?

 

 

分かりやすいところでは安物買いの銭失いだろう。

 

 

あるいは、定番に対する流行も該当するかもしれない。

 

 

一生モノの反対は広い意味でのジャンクや使い捨てとも言えそう。

 

 

ジャンクや使い捨てされるものは、手入れやメンテナンスをされない、その価値を認めてもらえないからそうなる。

 

 

一生モノの可能性が出てくるのは、手入れやメンテナンスをしてもらえるかどうかが鍵になりそうだ。

 

 

使うものもあれば飾るものもあるだろうが、仕舞い込んでおくだけのモノは該当しない気がする。

 

 

使いながら、手入れしながら、それを繰り返すうちに芽生える思いがそのモノが一生モノになれるかどうかを分けるだろう。

 

 

そう思ってしまう自分がいる。

 

 

10年以上前に買ったもの、作ったもので、今現在も手入れをしながら使い続けてるモノにどんなモノがあるだろうか?

 

買う時に一生モノだと思って買ったのにすでに手離してるとすれば、結果的にそれはジャンクだったことになる。

 

 

つまり、買う時点での『一生モノ』と思う気持ちや判断は当てにならないことになる。

 

 

一生モノかどうかは最初の始まりが重要なのではなく、その後の関係性や価値観の持続が問われることになる。

 

 

就職や結婚、一生モノだと思われがちなモノですら取っ替え引っ替えの現代だからこそ一生モノという価値観や概念に惹かれる人は多いだろうが、一生モノを決定づける要素はモノの側にあるのではなく自分の側にあるということを忘れてる人は多そうだ。