違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

溢れるジャンク!

役に立たないものや壊れたり故障してるものが総称してジャンクと呼ばれている。

 

中古品の取り扱いをする現場では、本体としては機能しなくても部品として使えるものがある場合にジャンクと表示される。

 

新品が尊ばれた時代には中古は一般消費者には見向きもされなかった、ましてジャンクなど。

 

しかし、プロの世界では昔から中古やジャンクは磨けば光るお宝として扱われていた。

 

世間一般では、モノとしてのジャンクよりも、ジャンクフードのジャンクとしての方が通りがいいかもしれない。

 

栄養価のバランスが極端に偏ってる食べ物で、不健康や肥満の元凶扱いされる食べ物がジャンクフードと呼ばれ、お菓子類や揚げ物に多い。

 

ジャンクフードが厄介なのは、安くて美味しいから大量に出回ることにある。

 

つまり、ジャンク扱いされながらも大勢の人に支持されてるのだ。

 

 

文化的な産物にもジャンク扱いされるものは増えている。

 

誰でも気軽に情報発信できるようになったことや、簡単にコピペが出来ることで、元ネタよりもパクりネタの方がオリジナル扱いされるというような現象も珍しくはないようになっている。

 

そんな動きに対抗するように法律を武器にして権利で武装するという反撃も活発だ。

 

世間ではジャンクというと役立たずのゴミ同然のイメージがあるが、思い出して欲しいのは元はプロにとってのお宝だったことだ。

 

ある分野で、流通してる総量が少ない場合、上手く扱えば有効に使えるかもしれない可能性があることは、やっぱりお宝と言って良いだろう。

 

毒扱いされるジャンクフードも使い方(食べ方)次第なのだ。

 

 

ジャンクが溢れるということは、裾野が広がったということで、豊かな証拠で豊かさのバロメーターだ。

 

ジャンクが溢れるようになると、その接し方が問われるようになる。

 

バカとハサミは使いようなんてことわざがあるが、ジャンクの使いこなし方には知性と教養と美意識が現れるのだ。

 

 

話に聞く戦中戦後の食糧難の時代では、ジャンクフードだってありがたい。

 

次のツイートを皆さんはどう感じるだろうか?

 

 

こういう意見もある。

 

 

 

悪く言われることも多いジャンクだが、水清ければ魚棲まずとも言うように、世の中には光と陰、表と裏のように切り離せない関係性がある。

 

好きなことばではないが、清濁合わせ飲むなんていうのも切り離せない関係だからだろうなと思えてくる。

 

通勤時間もジャンクの一種だろうと考えると、時間の使い方につきまとう光と陰や表と裏の関係にはどんなものがあるのだろうかと興味が湧いてくる。

 

単純に有効だとか無駄だとかと言い切れないのかもしれない。

 

有効は無駄で、無駄は有効というメビウスの帯(輪)のような関係かもしれないと思えてくる。

 

 

ジャンクが溢れてる現代だからこそ、無駄の美学について考えることは価値があるかもしれない。