違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

派閥は人を使い捨てにする

自民党の派閥解消が話題になっている。

 

派閥とは、徒党を組んで排他的に利益を共有しようとする集団で、あるべき理想を追求する仲間のような存在とは相容れない。

 

芸能界、中でもお笑い界や関係業界でもパワハラやセクハラ派閥集団が駆逐されようとしてる。

 

この派閥に属すると、忖度を超えて各種の指示命令が飛び交っているだろうことが、伝わってくるウワサから感じ取れる。

 

詐欺の世界の黒幕や指示役のような利益を享受する側と使い捨てにされる現場の実行犯という構図で成り立っていることは想像に難くないが、一つだけ違う点がある。

 

詐欺の黒幕や指示役がどこの誰かを知らない現場の実行犯は多数いるが、政界や芸能界で使い捨てにされる人は誰が黒幕であり指示役であるかはよく分かっているという点だ。

 

良くも悪くも勢力や権力が生まれる分野ではパワーバランスが生まれる。

 

しかし、権力構造に突然の変化が生じた場合には、微妙な均衡の上に成立していたパワーバランスが崩壊する。

 

今政界に起きてることは自浄作用などではなく、安倍元首相の暗殺に端を発するものだろう。

 

壊れた隙間に割って入ろうとする力と力の争いの結果生じているのだ。

 

芸能界やお笑い界で起きてることも、微妙な均衡の上に成立していたバランスにヒビが入って崩壊箇所が生まれたことで連鎖的な崩壊が起きているのだろう。

 

 

地震の被害を見れば分かるように、壊れるのは揺れによってだけではない、時には津波だって起きる。

 

政界や芸能界やお笑い界では揺れが起きてることは認識できているだろうが、津波を考えられてるかは疑問だ。

 

日本企業が衰退してると言われるようになって久しいが、日本企業には互いに切磋琢磨し合っているような印象はない。

 

派閥同士が談合で利益の配分を巡って小さな小競り合いをしてるだけに見える。

 

何となく成立してるパワーバランスを踏襲しながら。

 

全体としては衰退していても派閥の均衡バランスが維持されてればそれで構わないと思ってる、と思うと納得できる。

 

 

日本では人が集まると、それがどういう集団や組織であろうと派閥化する、小さな例外はあるだろうが。

 

派閥化した組織は使い捨て要員を常に必要とする。

 

賢明な人は派閥との距離感を常に意識するだろう。