有名な人が多いのは政界と芸能界。
名前を知ってるという意味では政界も芸能界も大きな違いはないが、キャラクターまで分かってるという意味では軍配は芸能界に上がる。
政治家は名前と顔は知ってるけどそれ以上はよく分からない人が多いが、かつての小泉純一郎総理のようにバラエティ番組でも取り上げられるほどキャラクターが際立ち話題やネタが豊富だと好感度は芸能人の比ではなくなる。
小泉純一郎さんの場合は有名なのに、そしておそらくスキャンダルの粗探しを受けたはずだが、これといったものが出なかったことも好感度に大きく影響したはず。
しかし、これまでのところ小泉純一郎さんのような政治家は21世紀では小泉純一郎さんただ一人だ。
つまり、生活の利害に関わるのが政治家だが、世間の関心を集める力は芸能界に劣るのが政界だ。
では芸能人はなぜ世間の関心を集める力を持てるのか?
第一にはルッキズムだ。
人は人を外見で判断する、残酷な真実だ。
しかし、それだけではないのもまた事実。
問われるのはキャラクターや持ってる価値観や趣味などを総合しての人間性だ。
人間性が見えることはとても大事だが、もっと大事なのは素の人間性だ。
『素』をどのように定義し解釈するかは人それぞれ。
バラエティ番組に出る芸能人は、一定の台本に沿って行動してるだろうが、瞬間的なリアクションに素を感じさせることがあるだろう。
最近のアイドルに大人数のグループが多いのも素の出しやすさに貢献してるはず。
一方で政治家は国民に素を見せないように日常を過ごしているはず、この素を見せるという点でも小泉純一郎さんは際立っていた。
『素』の反対語は、嘘や過剰な演出になる。
会社が起こした不祥事を経営者が謝罪するような場合も素は出る。
素を出さないように準備したはずなのに出てしまうと評価は最悪になる。
この場合の『素』は、表沙汰にできない真実。
つまり素にも良し悪しがあるのだ。
今ジャニーズには噴出するさまざまな『素』の嵐が吹き荒れている。
追い風が吹くのが当たり前の時とは違い過ぎる現実に戸惑っているはずだ。
これまでのところ謝罪に失敗した企業として語り継がれることだけは間違いないだろう。
ルッキズムの頂点からルッキズムが通用しない奈落に落ちかけている。
そのルッキズムにおんぶに抱っこだった取引先もさぞかしあたふたしてることだろう。
しかし、ルッキズムは永遠に不滅だ。
さて、ルッキズムで得をしてきた界隈では新しいルッキズムの模索が始まってるだろう。
ジャニーズとは違うねと思わせなければいけないのだ。
そういう目で芸能界を見ると楽しめそう。