草野球ではバッターは打つ直前までピッチャーが投げたボールを目で追いかけてバットで捉えようとする。
それに対してプロ野球や、アマチュアでも高度な野球が展開されるような場合は、バッターはピッチャーが投げたボールを打つ直前まで目で追いかけることはできない。
意識では追いかけてるつもりでも、ボールのスピードが速いと目で捉えてからスイングを始めても間に合わないから。
結果、速いボールを打つときはボールの軌道を予測して反応せざるを得なくなる。
以下は野球からは離れる。
誰だって判断する場合は、状況をしっかり見極めてからと思うだろうが、現実社会でもそれでは遅すぎることがある。
つまり、判断の根拠として様々なデータや経験を駆使したとしても、肝心な部分は予想や予測に頼らざるを得ない。
そういうことは少なくない、もちろんいい加減で曖昧なことをやってるわけではない。
証拠やエビデンス以外は、判断に当たって一切評価しないと言い切る人でも、厳しい競争原理が働く現場では予測や予想というバクチは避けられない。
だから、勝てば官軍負ければ賊軍なのだ。
やってることが予想や予測であるからこそ成功したければ確率を考えるようになる。
人間を相手にする場合の確率は、的確なデータさえ揃うなら数学的なアプローチが功を奏するかもしれないが、データが潤沢でないなら経験や勘の方がものを言うだろう。
予想や予測の対象は生活実感がある方が相応しい。
経験実感から得られる勘と当てずっぽうが当たることは一緒にすべきではない。
確率がすごく低いことで大当たりを出した人は、経験や勘が狂い出すという話もあり、この点に関しては人間と猿の反応は似通っているらしいという筑波大学の研究 がある。
予想や予測を仮説と呼ぶと少しは賢そうに見えるかもしれない。