人間とは〇〇。
〇〇に当てはまる言い回しはいくつもある、もちろん二文字である必要はない。
ことわざや格言だと有名なものには、
人間は考える葦である
がある。
思想家哲学家のパスカルの言葉で、人間は弱い存在だが考えることができるのが強みという意味。
この考えるという能力ゆえに人間は地球の生態系の最上位に位置できているが、とてつもない天変地異が起きた際でも生態系の最上位でいられるかは疑問だ。
有名な表現には他にも、
人間は二足歩行の動物
がある。
動物の中で哺乳類に限って比較しても、常時二足歩行は人間だけ。
二足歩行ゆえに運動能力は大したことない(四足歩行の動物と比較すると)が、二本の手(十本の指)を駆使して道具を作り、その道具を使いこなすことができる。
忘れてはいけないのは、大前提として二足歩行ゆえに手が解放されたことで脳が発達し考える能力が高度になったために道具を思いつけるようになったということ。
考える葦と二足歩行は、意味するところがかなり重なっている。
時代が進み現代になると、二足歩行であることの別の意味合いがクローズアップされ出したように感じる。
道具を作り、道具を駆使することで、人間は二足歩行を軽視するようになった。
二足歩行の能力が衰えたり失うことで人生の質が大きく低下するという現象が目立つようになっている、そういうことの多くは病気や健康のジャンルで扱うので、そもそも人間は二足歩行の動物だという原点には立ち返らない。
筋トレがブームだが、上半身のトレーニングには余念がなくても下半身はおざなりというのは良くあるパターン、二足歩行の軽視と直接結び付けるのはこじつけっぽい気もするが無関係ではなさそう。
二足歩行を軽視すると考える力も弱まりそうだし、健康面での大きなマイナスにも直結しそう。
不調や不運の原因が歩かないからなんて普通は思わないだろうが、二足歩行の軽視は確実に何かを失わせるかもしれない。
しかし、歩くことさえ楽しめれば多くのネガティブを払拭できるとすればこんな楽なことはない。
大事なことは、義務感で始めても続かないから楽しめることだ。