昨夜の卓球女子世界選手権団体戦の決勝戦を見ていて強く感じた話。
まあ単なる主観だが、多分当たっているはず。
一言で言うと、日本ではホワイト化が進んでいるということ。
今回の世界選手権では、出場常連だった伊藤美誠選手が調子悪く控えになっていたし、今年開催のパリオリンピックへの落選も決まっていた。
パリオリンピックの落選が決まる前から表情が冴えなかった伊藤美誠選手はそれに加えていじけたような表情すら見せるようになっていた。
『もう卓球をやめようと思った』、そんなことすら口にするようになっていたがギリギリのところで踏みとどまっていた。
今回の世界選手権が始まったときにはまだ表情が固く引きずってるなと感じたが、途中から様子が変わった。
試合中の選手にゲーム(セット)とゲームの合間にするアドバイスの際の表情やアドバイス内容に、ようやく吹っ切れたのかなと感じさせるものが出てきた。
そして昨夜の決勝戦ではにこやかな笑顔が多かった。
この笑顔は、出場選手をリラックスさせ元気づけるためのもので、これまでは自身が会心のプレーをしたり勝利を手に入れたときにしか見せないような笑顔だった。
その笑顔が自然に出るようになるまでは大きな葛藤があっただろうが、一言で言うなら原点を取り戻したなと思わせるものだった。
周りにいる日本人選手はともに切磋琢磨する相手ではあるがそれ以上に敵でありライバルだという思いが変化し、競技の上では確かに敵でありライバルだがそれ以上に切磋琢磨する仲間だと思いが変化したのだろうことが感じられた。
そして伊藤美誠選手が日本チームに大きな力を与えたように感じられた。
個々の選手の実力があればこそだが、それにプラスアルファを与えたのは伊藤美誠選手だと感じたし、それが自然と以心伝心するチームだった。
試合は負けたのだが、とても歯が立つとは思えない相手に次は勝ってもおかしくない試合が展開された。
自分のことだけを考えることは別に悪いことではないが、それはともすれば自分さえ良ければ良いになる。
それは悪ではないがきっとブラックだ。
卓球の女子を見ていてそう感じた。
多分大谷翔平選手にも通じるだろう。
ホワイトとは何か、そんな定義付けには多分価値はない、人それぞれが自分のホワイトを定義すれば良い。
まだまだ日本全体で見るとホワイトの勢力が強いとは言えないが、今からホワイトな生き方を意識しておいた方が良いだろう。
ホワイトの波に乗り損なうと辛い人生になりそうな気がする。
ホワイトな生き方は、自分の気持ち一つでできるしお金をかける必要もない、できる人にはとても簡単なことだ。