知らないことは考えられない。
だとすると、考えられるのは知っているからとなる。
では知っているとはどういうことか?
それは少なくとも脳内でイメージが伴うもので、もう少しだけ具体化すると、そのイメージをことばで表現できるか映像としてイメージできるかだ。
記憶と言っても良いかもしれない。
間違った記憶がイノベーションを生むことだってあるかもしれない。
考えるよりも先に身体が反応するなんていうのは脳内イメージがすでに出来上がってるからこそできることになるという意味ではまさに知ってるからこそとなる。
では、全く知らないはずの未来や未知について想いを馳せるような時には一体何が起きているのか?
数学の因数分解のように、すでに知ってることを細かい要素に分解し、それらをこれまで発見されてない組み合わせで再構築すると、確率は低いながらも実用化が可能な組み合わせが可能になるという繰り返しの作業のはず。
イノベーションという従来と全く異質で異次元のように見えることも、実は既存の要素の組み換えに過ぎなかったりする。
つまり人間は、独自のオリジナリティを重視したがるが、実際には要素レベルに遡れば限りなく模倣の繰り返ししかできないのだ。
だって、知ってることしか考えられないのだから。
このように考えると、凡人と偉人は評価は大違いだが、やってることのレベルは大差ないのだと気付ける。
逆に言うと、評価を求めて一喜一憂することは自分で自分を疲弊させるだけになる。