ゴールドラッシュで儲けたのは砂金を掘ってた人ではなく、砂金を掘りに来た人々にツルハシを売った人々だとビジネス論が好きな人は語る。
しかし、現実的にはゴールドラッシュによって多くの人たちが何もないところに集まり街やコミュニティが出来上がったことこそに意味があったと言われる。
そこではさまざまな人がさまざまな能力を発揮できたからだ。
何やら錬金術に似ている。
肝心の金は結局作れなかったが、そのプロセスでさまざまな金属や合金が発見され、またそれらの特性も理解されるようになりその応用範囲の発見にも繋がったことで、錬金術に夢中になる時代がなければその後の世界の発展の歴史は大きく変化したのかもしれない。
何が言いたいかというと、何もない領域に人が挙って集まるとあっという間に開拓が進むが、その開拓期間が一定を過ぎると、何もなかった領域はこれまたあっという間に飽和状態に達する。
まあ、ここでいうあっという間とは50年〜100年くらいはあるので、人の人生に照らし合わせるとかなり大きな運の良し悪しに影響するから残酷といえば残酷。
豊かさとは飽和状態の上に成り立つのかもしれない。
しかし、飽和状態は行き詰まりでもある。
人々は、いつもその時代時代に応じて次のゴールドラッシュや錬金術を求めることだろう。
そして、肝心の金が掴めるとは限らないが、その副産物や副生成されるものに価値を見出すことで次の時代を切り拓くのかもしれない。
だとすると、そんな予兆の一部は既に見え始めてるかもしれない。
見える人にだけしか見えないのだろうが。