自分にはどう見えてるか、それが一人称視点。
一人称視点の場合は、主語は常に自分だ。
それに対して、
他人には自分がどう見えてるか、それが三人称視点。
三人称視点の場合は、『自分』の部分はテーマ次第で他の表現に置き換え可能。
三人称視点は客観でもある。
スマホやアクションカメラの普及で一人称視点の映像が増えたが、一人称視点の映像は当初新鮮に感じられたが工夫がないと陳腐なだけだと気付くのは早かった。
このような場合の工夫とは三人称視点のバリエーション。
撮影も編集も独りでこなす人にとって三人称視点を作るのはとても大変なはず。
自撮りというのはやってる当人には一人称視点だが、撮影された映像は三人称視点になるというおもしろさがあるが、レンズとの距離が近いので映像にバリエーションが出しづらくワンパターンになりがち。
前置きが長いが、つまり現代は一人称視点でものを見がちで、持ってるようで持ってないのが三人称視点なのかもしれないということだ。
無灯火が危ないとの指摘に『ちゃんと見えてるから』と答える人は、運転者としても歩行者としても一人称視点のみで反応してるのだろう。
一人称視点しか持ち合わせてない人と常に三人称視点も持ち合わせてる人だとコミュニケーションにも難が生じるだろうし、お互いに相手がバカに見えるだろう。
また小説などを読んでも反応がまるで違うはず。
自分さえ良ければ良いという反応をする人が一人称視点なのは当然だとしても、一人称視点しか持ち合わせてないから自分さえ良ければ良いと反応してるとはすぐには思わない。
ましてやそのことにスマホやアクションカメラが関係してるなんてまったく思わないだろう。
スマホのせいでスマホ脳が増えてることは今や周知されてるが、そのせいで一人称視点も増えてるのかもしれない。