違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

騙されるのはなぜ?

2ちゃんねるの管理人ひろゆきは、(掲示板の利用は)「嘘は嘘であると見抜ける人でないと難しい」と20年前に述べていた。

 

 

嘘を嘘と見抜けない人が増えたことで成り立つのがフェイクニュース市場。

 

いまや裏だけでなく表のリアルビジネスの世界もフェイクは席巻している。

 

そしてネット上では、最初の情報(既存メディアによる報道を含めて)が間違っていた場合その情報を訂正しても、最初の情報に反応した人の大半は訂正情報には反応しないので、情報の訂正はほぼ不可能と考えておいた方が良い。

 

最初に接する情報がいかに大事であるかが分かる。

 

それだけでなく、おそらく知らないうちに最初の情報に振り回されている。

 

だから、最初に参考にするであろう情報が狙われる。

 

悪質業者による「サクラレビュー」問題が広がり、今度は「サクラプレスリリース」まで出現の怪

当然ながら、そうしたECサイトに表示されるユーザーレビューの数々が必ずしも信用できるものでないということは多くの消費者が気付いている状況でもありますが、だからといってすべての人がどのレビューを信用できるか判断するまでのリテラシーを持ち合わせていないという事情もあります。

 

 

 

現代のSNSやツールを使ったコミュニケーションは、オープンなようで実はクローズドで束縛を促進するので、「見たいものだけを見る」、「似た人とつながり影響し合う」という落とし穴にはまりやすくなる。

 

ネットを活用すればするほど、お宝情報なんてネットでは出回ってないことに気付く。

 

ここで言うお宝とは、ピカピカに磨き上げられたダイヤモンドのようなものの事。

 

磨き上げられたダイヤモンドはネット上には無いが、とてもダイヤモンドには思えない原石だったらあるかもしれないし、あっても不思議はない。

 

騙される人達は、ネットの世界を無限の世界だと思っているが、その無限とは砂漠の砂のようなもの。

 

砂漠の砂の中でお宝を探していたら、もう何が何だか分からなくなるはず。

 

そんな時はプラスチックの破片を見つけただけで心がときめくかもしれない、ましてや光沢を帯びた粒であれば尚更だ、今ネットの世界ではそういうことが起きているし、仕掛けられている。

 

 

 

「同じ名字の人死亡で4億円相続できる」 ウソもちかけ詐取 2019/8/9

逮捕されたナイジェリア人のアカ・ジェームス・グッドニューズ容疑者(36)は、東京都内の50代の男性に、「あなたと同じ名字の人がリビアで亡くなった。4億円の遺産を合法的に相続できる」などと、うその取引を持ちかけ、現金300万円を自分の口座に振り込ませた疑いが持たれている。

同様の手口で、2,000万円がだまし取られた事件もあり、警視庁は余罪を追及している。

  

 

 

記事を読んだだけでは、どのようにアプローチされたのかは分からないが、リアルだろうとネットだろうと騙しは、騙す方法の巧みさよりも、騙される側の心の隙間が狙われている。

 

誰の心にも、「そのうち自分にもツキが回って来るはずだ」という思いがある。

 

『ツキが回ってきたと思ったら、回ってきたのはツケだった』とならないように気を付けたいものだ。

 

自縄自縛から抜け出すためにはスポ根を捨てろ!

気になるツイートがあった。

 

 

 

子役のオーディションに参加している子どもたちが、持参している水筒の水に全く口をつけないことに気づいた鴻上尚史氏。「飲んでいいよ」と声をかけると一斉に飲むので、「まさか、君達、小学校じゃあ先生が飲んでいいと言うまで飲んじゃいけないの?」と聞いたところ全員がうなずいたという。

 

 

今時そんなことあるのかなとTwitterを検索すると似たような話がすぐに見つかる。

 

 

 

 

 

どうやら、指導者や先輩にスポ根的な価値観が感じられる。(もっとも、これらのツイートは最近の話かどうかは分からないが)

 

先輩が持ってる価値観ということは、今は嫌がっている後輩達もいずれ先輩と言われる立場になると持ってしまうのかもしれない。

 

だとすると、負の連鎖は止まらないことになる。

 

このように考えると、指導の名の下に行われていることは支配だと感じられる。

 

 

子供達が、指導者の顔色を伺いながらじゃないと水分補給もできないという現実がまだまだたくさんあると知ると、先日話題になっていたダルビッシュvs張本も、わたしはダルビッシュの意見が支持されてるとばかりに思っていたが、実際は違うかもしれないと思えてくる。

 

そして探してみるとこんな話があった。

 

【仰天】大船渡高校・佐々木朗希を巡り張本勲氏とダルビッシュ有舌戦 居酒屋での支持率は「張本の圧勝」だった!?

「大ざっぱに言うと、張本氏は根性論をベースに“仲間に迷惑をかけない”との自己犠牲を重視しており、一方のダルビッシュは合理的な思考をもとに選手の将来を考えているように見えます。現代のトレンドではダルビッシュ派に理のありそうなものですが、野球ファンの集まる居酒屋トークでは意外にも、張本氏の考え方を支持する人たちが少なくないのです」(スポーツ系ライター) 

 

張本派のファンは中高年世代がほとんど。そんな彼らは『巨人の星』の大リーガー養成ギブスや、『リングにかけろ』のパワーリストに触発され、負荷をかければかけるほど上達・成長できるとの考え方を常識として育ってきました。それゆえ野球のみならず仕事などの社会生活においても、若い世代の“合理的な思考”にはついていけないもの。そのため今回の件では、周囲からいくら叩かれても自分の考えを主張する張本氏に、自分の理想を重ねているのかもしれません」(前出・スポーツ系ライター) 

 

 

間違った考えを強制されてると理解できれば、反発心も出てくるだろうし、自分が指導者や先輩になった時に悪い流れを断ち切ることが出来るが、嫌々ながらでも受け入れてしまうと間違ったことでも以後はそれに縛られてしまうようになる。

 

このように考えると思い出すのが次の話。

 

 

鎖に繋がれた像

 

 

ムラ社会的なルールが多い日本人の気質として、反抗心や反発心が弱い人は自縄自縛な行動を受け入れることが多い。

 

嫌なのに、納得できないのに、理不尽な要求に従ってしまう、こういう人が日本人には意外と多い。

 

自爆営業なんてことばがある。

 

自社の商品が売れない時に強制的に社員に買わせたり、あるいはノルマを達成できない時に自発的に自ら商品を買ったりすることを意味する。

 

空気のなせる業であり、査定等の基準が手かせ足かせとなっているからだ。

 

自縄自縛に陥る心理を心理学的に解説する話もあるが、もっと単純に像の鎖のような何かがあるせいで陥ってるのだ。

 

像と違って人間の場合は、守りたい何か、拘ってる何かに縛られることが多い。

 

自分を縛るものば何なのか、自分が何に縛られてるのか?

 

何かは、価値観だ。

 

それが分かるだけで問題の半分は解決だ。

 

残りの半分は、見栄やプライドや過剰に背負いこんだ義務感だったりする。

 

義務感が生まれる所には、一生懸命や真面目が大きく関係する。

 

自縄自縛に陥る人の特徴は、一生懸命で真面目。

 

一生懸命で真面目というのは、好きなことややりたいことに取り組む時に活きるもので、やりたくないことや嫌いなことに対して発動するものではない。

 

そう考えると自縄自縛から抜け出すのは簡単なはず。

 

今、悪循環の中にいると思うならば、大事なことだと思っていることは実は大事ではないと気付いた方が良い。

 

自縄自縛から抜け出す第一歩は、スポ根的な価値観を断捨離することだ。

 

 

笑顔を(似非)科学!

一夜にしてスマイルシンデレラという称号を手に入れた渋野日向子さんの登場で、笑顔が注目されている。

 

以前から、笑顔に焦点を当てた社交教室やヨガなどはあったし、その以前から医療の世界でも笑うことは免疫力を活性化するので癌治療に有効だと言われていた。

 

今日は、そんな笑顔について書いてみたい。

 

笑いの効能については検索すればたくさん出てくる。

 

特に免疫力を高めるという効能に関しては、心からの笑顔でなくても作り笑顔でも効果があると出てくる。

 

これが本当か嘘かはさて置き、笑顔とはなんぞやという疑問は常に付きまとうので、渋野日向子さんをお手本にして笑顔を定義してみたい。

 

全英オープンで優勝し帰国後の記者会見の中から、笑顔に関連しそうなやり取りを抜き出すと、

 

 

 

―明るく振る舞う理由は。

「ギャラリーさんがいて見せる競技なので、楽しんでもらうには自分が楽しまないと、みんなが楽しくないと思う」

 

 

―メンタルの強さは「新人類」とも言われたが。

「今まで喜怒哀楽が激しかったので、すぐにスコアを落としたけど、ここ1年は自分でも分からないくらい結果を出していて、こんなところでそれ入るの、というのも多かったので。本当に分からないです」

 

 

―今後に生かしたいことは。

「世界でも笑顔は共通だと思ったので、笑顔で努力すれば結果に出ると、今回ちょっと思いました」

 

 

―リラックスから集中へ、どうやってスイッチを入れるか。

「笑わなくなれば真剣な顔になる。顔だけ変えています。気持ちを入れると力み過ぎるので力むとミスショットにつながる。顔の表情だけ真剣に」

 

 

―いつからできるようになったか。

「学生時代は喜怒哀楽が出ていました。プロテストに受かって青木コーチに習いだしてから。ちゃんとできているかなと思ったのは初優勝したサロンパス杯かなと思います」

 

 

―強さの秘訣は。

「最終日の最終組でも笑っていられるのは強さの秘訣なのかもしれないです」

 

 

―バウンスバック率1位の理由は。

「ボギーを打った後は怒るので、その怒りをドライバーにぶつけてすごい振って2打目もしっかり攻めていっている。そういうところが1位につながっているかなと思う。ボギーの後はなかなか笑顔になれないけど」

 

※バウンスバック率とは、ボギーかそれより悪いスコアで上がったホールの直後のホールで、バーディかそれよりいいスコアをマークする確率のこと。

 

 

―代名詞になった笑顔。どんな力あると思うか。

「言葉が通じなくてもコミュニケーションを取れるんだとすごく感じました」

 

 

―どんな力を与えてくれるか。

「本当にいろんな世界の人に知ってもらえたし。私は英語が分からなかったけど、笑顔は本当にすごいと思いました」

 

 

―笑顔を子どもたちにどう感じてもらいたいか。

「ゴルフは自分の意思で頑張らないといけないし、楽しまないといけない。楽しむことが大事だと感じてほしい。結果を出すために苦しい思いをするのは苦しかったし、楽しんでほしいと思います」

 

 

 

笑顔を意識してる人は多いが、人前で口を開けたり歯を見せることに抵抗がある人は多いようで、女性の場合は大きく笑うとシワが増えると心配してる人も多い。

 

ちなみに、上記の抵抗や心配は杞憂で、むしろ口を開けずに歯を見せずに笑うとニヤニヤヘラヘラした笑顔になる、そうなるともはや笑顔として評価されなくなる。

 

渋野日向子  全英オープン優勝

 

https://www.golfnetwork.co.jp/news/detail/23685

 

 

上記の記事の中で、全英オープンを解説していた岡本綾子さんのことばが載っている。

 

これからは、彼女の周りにいろんな人が出入りしてくるでしょうから、いろんなことを犠牲にしながら、自分らしさが無くなってゴルフが変わったりしないように、上手くコントロールできるといいですね。プロとしての活動はこれからですね。

 

渋野日向子さんが笑顔でプレーできるのは、抱えてるストレスがプレーに関することだけだからかもしれない。

 

今後、彼女から笑顔を奪うものがもしあるとすればそれは人間関係を含めたさまざまなストレスのせいだろう。

 

笑顔はストレスに打ち勝つ力を持っているが、ストレスもまた笑顔を奪う力を持っている。

 

ネット上では、渋野日向子さんの登場で女性の笑顔が大きく取り上げられてることに対してストレスを感じてる女性がそれなりの数いるらしいことが感じられる。

 

笑顔が注目されることを、笑顔の強要と受け取っている人がいるのだ。

 

ストレスを抱えると悪循環が起こるのだ。

 

 

今日言いたいことの要はここからなのだが、口を開けて笑う笑顔をしながら緊張したり力んだりすることはできない。

 

緊張やストレスとリラックスのバランスが、緊張やストレスの側に大きく傾いているのが現代。

 

だとすると、リラックスが圧倒的に不足してるはずだ。

 

リラックスしろと言われてリラックスできる人がどれくらいいるだろうか?

 

緊張してる人に「脱力しろ」と言って脱力できる人がどれくらいいるだろうか?

 

リラックスや脱力を勘違いしてる人は、姿勢がだらしなくなったりするだけの場合もある。

 

笑顔は、リラックスや脱力を上手にさせてくれる。

 

瞑想もリラックスには効果があると言われるが瞑想は現場ではできない。

 

笑顔の時の呼吸は、瞑想時の呼吸よりも良いという話もある。

 

誰でもできるのに、誰にでもできるわけではない、それが笑顔。

 

他人から評価されるためではなく、自分のために笑顔ができる人とできない人はどんどん差がついていくだろう。

 

スーパーボランティアの次は、スマイルシンデレラ!

日本ではワイドショーは質が低いメディアだと思われてるが、その影響力は侮れない。

 

同じ事実を話題にしていても、純粋なニュース番組や報道番組だと触れないかもしれない裏話や本筋から離れたところに焦点を当てることで、視聴者の多様な興味関心を煽ることができるからだ。

 

全英オープンで優勝した渋野日向子さんの取り上げ方を見ていて改めてワイドショーの影響力の強さを実感した。

 

2〜3日前まで名前も顔も知らなかった渋野日向子さん。

 

そのプレースタイルから海外メディアがスマイルシンデレラと呼んだことを受けて、ワイドショーでも笑顔を中心に映像が編集されていた。

 

プレー中の笑顔だけでなく、コースを移動中のギャラリーとの接し方なども笑顔を中心に編集されたせいもあり、映像を見た多くの人にとって渋野日向子=笑顔となったであろう。

 

優勝という事実だけが伝えられていたら、優勝した瞬間が笑顔であったとしても笑顔の人とは思われないはずだ。

 

対称的な存在としてテニスの大坂なおみさんを思い出す。

 

思い通りのプレーができないと感情剥き出しで不機嫌になるその姿を見てると気持ち良い気はしないが、真剣勝負をしてるとそうなるのはしょうがないのかなと思っても、そこまで不機嫌にならなくてもと思っていた。

 

そのおかげで、私にとっての大坂なおみさんは情緒不安定な人として記憶されている。

 

ワイドショー側にとっても、上手くプレーできずに不貞腐れてる姿は格好の映像となり盛んに放送されたせいだろう。

 

情緒が安定してない人には笑顔は難しい。

 

 

ワイドショーは誇張して放送したがるので、良いものをより良く、美しいものはより美しく描こうとする。

 

それだけでなく、醜いものはより醜く、悪いものはより悪いようにも描こうとする。

 

 

そういう意味では、渋野日向子さんは全英オープンで優勝したこともおめでたいが、それ以上に笑顔の人として世界に発信されたことが幸せだと思う。

 

 

渋野日向子さんを見てると、1年前の尾畠春夫さんを思い出す。

 

尾畠さんにスーパーボランティアという称号を定着させたのはワイドショーの力だ。

 

尾畠さんの活動にとって邪魔だったことも多かっただろうが、カメラが捉えた尾畠さんの姿は清貧の美学を伝えるのに十分だった。

 

ワイドショーに取り上げられることで大きく株を上げることは、ケースとしては多くはない気がする。

 

というのは、すでに名声や評判を確定させてる人が取り上げられることが多いから。

 

全く知名度が高くない人が、良い点ばかりが強調されてお茶の間に伝えられることを2年連続で経験したが、こういうことはただの偶然なのか、それとも新たな夏の風物詩として今後も起きるのだろうか。

 

来年の夏の楽しみが増えたような気がする。

 

自由の反対語はハラスメント!?

表現の(不)自由が話題になっている。

 

舞台は、国際芸術祭あいちトリエンナーレ2019

 

芸術監督は津田大介氏。

 

youtu.be

 

上記の解説から肝になる部分を抜き出してみると。

 

あいちトリエンナーレを企画するに当たり愛知県から要求されたことは次の3点だと説明。

 

あいちトリエンナーレ3つのコンセプト

 

そして、その要求に沿うテーマとしてを選択し、その理由を次のように説明している。

 

あいちトリエンナーレ テーマ

 

 

あいちトリエンナーレ テーマ(2)

 

 

あいちトリエンナーレ テーマ(3)

 

 

あいちトリエンナーレ テーマ(4)

 

 

 

その結果生まれたのが「表現の不自由展・その後」、そしてこで展示された平和の少女像。

 

平和の少女像は韓国の従軍慰安婦問題を象徴し反日の姿勢を示すとされていて、日本人には平和なものには思えない人が多いのだろう。

 

そこで非難が殺到し、脅迫状が送られるに至って展示が中止された。

 

この一連の流れの中で、Twitterなどを見てると津田大介さんへの個人攻撃が多いように感じていた。

 

そこでGoogleTrendsで直近7日間の「津田大介」「あいちトリエンナーレ」「表現の自由」「表現の不自由」「平和の少女像」を比較してみた。

 

GoogleTrends 津田大介

 

こうして比較すると、やはり津田大介さん個人への反応が圧倒的だということが感じられる。

 

ちなみに、「平和の少女像」はほかに「従軍慰安婦」に関連するワードでも比較したが、どれも反応は低調だった。

 

典型的なノイジーマイノリティの大騒ぎなのだが、そこに政治が関与してるところが如何にも日本的だ。

 

世の中には、表現の自由以外にも自由とセットで語られることがたくさんある。

 

代表的なものに、

 

  • 言論の自由

 

  • 宗教の自由

 

  • 集会・結社の自由

 

  • 職業選択の自由

 

などがあるが、いずれも不自由だった状態から取り戻した自由なのだが、自由が当たり前になると、自由を封じ込めようとする自由が出現してくるようだ。

 

一方に存在する自由を封じ込める場合に機能するのが、不愉快を強いられるという意味でのハラスメントを拡大解釈すること。

 

ハラスメントを訴える声を集めると、本来の自由の良さが脅かされることに繋がりかねない。

 

ハラスメントは、もともとは弱者が強者に対抗するものだったはずだが、強者が弱者を抑え込むためにも活用されるようになっているような気がする。

 

わたしは、津田大介さんの名前は知っているが、活動をほとんど知らないので、津田さんのアンチが何を嫌がっているのかを十分に理解できない。

 

しかし、津田さんを攻撃するアンチは声は大きいが勢力としてはマイナーな少数派だと思える。

 

政治を含めた強者の意を受けて活動してるノイジーマイノリティが、ハラスメントを武器に自由を封じようとしてるように感じられる。

似て非なる『保守的』と『所与性』!

3人に1人が65歳以上という現代では、65歳以上を抜きにビジネスやサービスは成り立たない。

 

そんな65歳以上だが、65歳未満の世代からはお年寄りとか老人と呼ばれるが、本人たちはそうは思っていない人が多いことでも知られている。

 

そこで商売っ気を剥き出しにする業界ではシニアという呼称を当てはめたが、これもそっぽを向かれてる。

 

シニアというのは自分のことではなく、自分より年上の人のことだとお年寄りも思っているからだ。

 

だから自分に向けられたことばだと実感を持てないのだ。

 

更にいうと、65歳以上の人達が自身のことをシニア(老人やお年寄りも含めて)と思っていないというよりも、自分より年下の他人にシニア呼ばわりされることが不愉快なのだ。

 

と考えると、どんな呼称を与えても受け入れることは無いような気がする。

 

マンガ「サザエさん」に出てくる波平さん(おじいちゃん)は年齢54歳という設定らしいが、日本では終戦後の数十年でシニア層のイメージが大きく変わったことが波平さんの設定からも感じられる。

 

ちなみに、マーケティング業界ではシニア層の特徴の一つとして保守的だと位置付けることが多い。

 

 

ウィキペディアでは保守を次のように説明している。

 

従来からの伝統・習慣・制度・社会組織・考え方などを尊重し、革命などの急激な改革に反対する社会的・政治的な立場、傾向、思想などを指す用語。また、そのような政治的な立場を奉ずる人物、勢力も保守、あるいは保守主義者(conservative)と呼ぶ。対義語はリベラル進歩革新など。

 

 

過去や伝統に強い拘りを示すことばには二種類ある。

 

『保守』と『所与』。

 

似てるようで違いも感じられるこの二つのことばについて書いてみた。

 

内容的には独断と偏見を交えた、だからどうしたというレベルの話。

 

 

変化することを嫌がるというのが共通点だが、保守の場合には変化しない方(変化する前)が良い状態だと考えているのに対し、所与性を大事にする人達は良かろうが悪かろうが変化して欲しくないと考えている。

 

保守の面白いところは、今現在の状態が変化の結果たどり着いた状態だとした場合でも、変化前に戻りたいと望むことだ。

 

保守的な人にとっての理想は過去に存在するので、伝統やしきたりを重視する。

 

同じく伝統やしきたりを重視するのが所与的な人だが、所与的な人にとっての理想は現状維持

 

 

これを『若さ』や『健康』をテーマにしてシニアマーケティングに当てはめると、

 

保守的な人たちは、実質的な若返りを望むことになるのだろうか?

 

それに対し、

 

所与的な人たちが望む現状維持は惰性的でもあり、哲学的でもある。

 

 

『若さ』や『健康』を望むとしても、保守的な人が望んでることと、所与性を求めてる人とでは、ふさわしい商品やサービスは全く違ったものになりそうだ。

 

保守的な人が求める『若さ』に対処する場合は整形手術も選択肢に入るかもしれないが、所与性を求める人にとっては「適度な運動」が求める答えということもありそうだ。

 

 

『保守』の反対語としての『革新・リベラル』は、

 

『シニア(年寄り)』に対する『若者』ようであり、

 

『アナログ』に対する『デジタル』のようでもあるが、

 

 

いずれも本来は対立したり、反対に位置付けられる概念ではなさそうな気がする。

 

保守も所与(性)も基本は、伝統やしきたりを重んじ、そこから外れた振る舞いをしないことで、伝統的な祭りが女人禁制だったりすることに名残りが感じられる。

 

保守も所与も過去が大事だが、保守はその伝統やしきたりの由来に拘るが、所与は由来など気にしない、という違いがある。

 

最近、半グレという存在が話題になるが、従来のヤクザが保守的な任侠道に基づく人間関係の上に成り立っていたのに対し、半グレは行動パターンは似ていても全てがビジネスライク。

 

ヤクザは保守的で、半グレは所与的だと言えそう。

 

所与(性)ということばをはっきり認識したのは1年前だが、保守と比較することで「変化を嫌がる」気持ちにも種類があることが分かった。

 

 

そんな気持ちは実生活の場では、慣れ親しんだものに愛着を感じさせるので、不便だったり非効率でも、さほど不満も感じずに許容してることがたくさんありそうだ。

 

 

子供の頃の話だが、幼稚園の時まで母をママと呼んでいた。

 

まもなく小学校に入学するという頃のある日、「今日からはママじゃなくてお母さんと呼びなさい」と言われて、非常に傷ついたことを覚えている。

 

この気持ちは、きっと心のどこかに芽生えていた所与性を求める気持ちのせいだったんだなと思い出した。

 

それなりに人生を重ねると誰の心にも、「ああ、このままずっと続けば良いのに」と思ってることの一つや二つはあるはず、そんな気持ちにも保守性に起因するものと、所与性に起因するものがある。

 

その違いを知ったからといって得をするとは限らないが、損をすることはないだろう。

 

ダルビッシュvs張本氏!

今日8月4日のTBS系のサンデーモーニングを楽しみにしていた。

 

スポーツコーナーで張本氏がどんな発言をするのかと。

 

事の起こりは一週間前のサンデーモーニングでの張本氏の発言。

 

 

張本氏の発言は、『夏の高校野球岩手大会の決勝で、花巻東と対戦した大船渡が、エース佐々木朗希投手を起用せずに敗れたことで、監督が起用を見送った理由が佐々木投手の肩の疲労に起因する選手生命が断たれることを避けたため』という事を受けてのものだった。

 

張本氏の主張は、

 

最近のスポーツ界で私はこれが一番残念だと思いましたよ。32歳の監督で若いから非常に苦労したと思いますがね、絶対に投げさせるべきなんですよ

 

(中略)

 

けがを怖がったんじゃ、スポーツやめたほうがいいよ。みんな宿命なんだから、スポーツ選手は

 

 

というものだった。

 

この発言を受けて、異議を唱えたのがダルビッシュだった。

 

 

スポーツに関して一家言も二家言もあるスポーツ界の現役選手やOBやファンの間では賛否両論大きな議論になっていた。

 

この一週間の張本氏をGoogleTrendsで見ると、

 

GoogleTrends「張本」直近一週間

 

張本氏の先週の発言は、放送直後にはあまり話題になっていなかったが、その後ダルビッシュが異議を唱え、その事を各種メディアやSNS上で話題になりはじめ1日経過してピークを迎えていたことがグラフの動きから見て取れる。

 

そして、今日の放送(スポーツコーナーは8時40分ごろから)で張本氏が何を言うかと大きな期待が寄せられていたことも見て取れる。

 

ちなみに、このグラフにダルビッシュも加えると、

 

Google Trends「張本」「ダルビッシュ」直近一週間

 

この話題に火種を投げ込んだのがダルビッシュの発言であることがよく分かる。

 

ダルビッシュがTwitterを使いタイムリーに発言を連発するのに対し、張本氏もダルビッシュの発言に対して反論していた。

 

 

このような流れの中で、今日の放送での張本氏の発言が大きく期待されていたのだが、全く何も触れずに拍子抜けだった。

 

 

 

さて、この勝負どっちが勝ったのだろうか?

 

私の目には、張本氏がシカトを決め込んだように振る舞いながら逃げたように見えるが、皆さんはどう感じるだろうか?

 

サンデーモーニングのスポーツコーナーで張本氏のパートナーをやっていた故大沢親分はこの騒動をどう見てるのだろうか?

 

結果的にはガッカリだったが、久しぶりにワクワクしながらテレビでコーナーが始まるのを待っていた。

 

そういう意味では、張本氏とダルビッシュには感謝したい。

 

※文中ではダルビッシュは敬称を使わず呼び捨てにしたのは敬称が馴染まない気がしたから。