違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

儲けてないような顔をして儲けてる人

日経平均株価が3万円の大台を回復したと話題になったのが5月17日。

 

日本の景気が上昇局面にあるという体裁は整った。

 

このように思う人が勢いづくだろう。

 

 

一方で、3万円台を回復した理由を確認しようとする人は『騙されないぞ』という思いを強くしてるだろう。

 

 

いずれであっても『勝ち馬には乗りたい』のだ。

 

 

株式に関わらずそれが投資ならば、証券会社に代表されるプラットフォーマーであり仲介者が、投資する側と投資される側の中間に中立の立場で存在する。

 

投資はしばしば博打に例えられるが、根本的に違うのは、中立の立場で仲介者やプラットフォーマーが存在するかしないかで、博打の場合は投資される側が仲介者やプラットフォーマーを兼ねている。

 

分離されてようとされてなかろうと、仲介者やプラットフォーマーは、手数料やエントリーフィー(参加料)で儲ける立場なので、ゲームに参入するプレイヤー(投資家)が増えることや取引の回数が増えることが儲けを支える。

 

 

公明正大な博打には宝くじがある。

 

宝くじの場合、賞金として還元されるのは売上額の45〜46%で、約14%が販売手数料や印刷代、残りの約40%が公共事業に充てられている、ことになっている。

 

このことを知ってる人の多くは、金持ちであればあるほど宝くじは買わない、夢などないことは明らかだから。

 

 

『今なら儲かるぞ〜』という掛け声が大きい時や、エントリーする人が募集されてる局面では、仲介者やプラットフォーマーが儲かるために頑張っていることが多い。

 

仲介者やプラットフォーマーにとっては投資する側や投資される側が儲かるかどうかなんてどっちでも構わないのだということは覚えておいて損はない。

進化や進歩とサバイバル力はトレードオフ?

思うことがあって辞書を引いた。

 

昔の紙の辞書だ。

 

なんとめんどくさくて且つ得られる情報量のなんと少ないことか。

 

それ以上に、50音の順番を常に考えるというだけの作業がいかに頭を使うかも実感させられた。

 

ネットを使ってあるいはスマホやPCの内蔵辞書を検索するということと比べると、進歩や進化の逆体験だなと感じた。

 

理屈の上では、人はすごく進化してるはずなのに、そう思えないのはなぜだろうか?

 

進化したのは人ではなく、人の周りの周辺環境だけだと思うと納得できそうな気もするのも不思議な感じがするが、紙の辞書を引く作業を大変に感じたことが不慣れなせいを差し引いても発生していたことを考えると、周辺環境が進化すると、その分だけ人間の能力は退化してると思えてくる。

 

「紙の辞書を引く」という部分を「暗算をする」に置き換えるとより一層退化を実感できる。

 

算盤は暗算力を進化させたのに対し、電卓や表計算ソフトは暗算力を失わせることに作用してるのは明らかな気がする。

 

暗算力を失った代わりに誰でも間違わない計算を素早くすることが可能になったことは間違いなく進歩ではあるが、人間の機能の退化にはつながっている。

 

それは必要ない機能が失われているだけと思って良いのだろうか?

 

 

辞書を引くことや暗算のことを考えていたら、包丁が頭に浮かんだ。

 

野菜や果物を切ったり剥いたりするのに包丁を使うよりも、最近は専用の道具を使う方がはるかに簡単でしかも安全になっているし、百均アイテムにもなっている。

 

 

ふと、失われているのはサバイバルのセンスや能力かもと思い当たった。

 

 

少子化にしても人口爆発にしても、それに加えて化石燃料エネルギーをふんだんに使えなくなることも地球温暖化も、確実にサバイバル能力を要求する事態なのだが。

 

 

そういえば最近のアウトドアやキャンプって、以前のようにサバイバル能力を必要とするものではなくなっている。

 

アウトドアやキャンプ経験が豊富でも、非常事態に強いわけではないのだ。

 

 

サバイバル力をキーワードにして検索したら、次の二つが目についた、どちらもつい最近の話だ。

 

 

キャンプ場で行方不明の男児、2日後に保護 雪を食べてしのぐ

8歳の男児が、

木の下にもぐり込み、

枝や葉で体を覆い、

雪のきれいな部分を口に含んで水分を取った。

 

 

 

 

ジャングルに小型機墜落 赤ちゃんら子ども4人、半月後に生きて発見

小型機は5月1日未明、密林に墜落した。機体の残骸からは、操縦士をふくめ大人3人の遺体が見つかったが、13歳、9歳、4歳、生後11カ月の子ども4人の行方が分かっておらず、軍などが捜索を続けていた。

 

子どもたちは果物を食べ、棒や枝で即席のシェルターをつくり、風雨をしのいでいたとみられている。

 

 

 

 

 

現代人は、ITやAIなどで武装してるがサバイバル力は高まっているだろうか、サバイバル力を発揮するためには健康でタフな身体だって必要になる。

 

大人よりも子供の方がサバイバル力がありそうに感じられるのも興味深い。

 

 

何かあったら病院に行けば良い、何かあったら介護して貰えば良いと思う人の辞書にはサバイバルは載ってないだろう。

思考の三つ巴

おそらく現代人の悪い癖の一つだろう。

 

関係性をやたらに定義したがる。

 

対立や類似という観点での分類が典型だが、顕著なのは対立だ。

 

 

賛成や反対、

 

右や左、

 

上や下、

 

など。

 

 

これらを対立だと定義する。

 

 

そして、その中間を曖昧あるいはグレーと定義したがる。

 

 

それは考え方にも反映される。

 

国や言語によって違いはあるに違いないが。

 

 

日本語には巴という字がある。

 

意味で認識してるというよりも、図案やデザインとしての認知が多いはず。

 

 

 

 

図の引用は下記サイトから

https://ja.wikipedia.org/wiki/巴

 

 

この巴には対立と類似の両立が感じられる。

 

 

特に三つ巴の図を見ていて思った話。

 

 

改善や改良が大好きで得意な日本人は、残念ながらその大元となる発明や発見は苦手。

 

すでに存在する有用なものをさらに深掘りしブラッシュアップするのが得意なのは思考の特性が垂直思考だから。

 

深掘りを人力ですればするほど穴の直径は大きくならざるを得なくなる、垂直方向だけでなく水平方向にも穴は広がる。

 

垂直方向にも水平方向にも掘り進めるのは地盤が柔らかい所までで、硬くなると方向転換ではなく掘る場所の変更を余儀なくされる。

 

垂直方向だろうと水平方向だろうと、掘ったものは資産や財産であり実績となる、そのことは良いことばかりではなくネガティブな執着にもつながる。

 

ネガティブな執着から抜け出すためには、自らの行動に批判の目を向ける必要も出てくる。

 

思考は行動につながり、行動は新たな思考につながる。

 

世間では優劣で捉えられてるかもしれない思考法があるがそれらは巴の関係にあるとすれば対立させてはいけない。

 

 

代表的な三つがある。

 

垂直思考  ロジカルシンキング

水平思考  ラテラルシンキング

批判的思考 クリティカルシンキング

 

 

 

これらは相互補完だとすると、三つ巴のイメージを持つことが大事になる。

 

 

増進vs減退

結局どっちなの?

 

LGBT理解増進法って、LGBTに寄り添うつもりがあるのか、それともLGBTに反対してるのか?

 

伝え聞こえる話だと、法律名に『増進』と入る場合は、中身を骨抜きにして議論を終了させるのが目的だというのが日本の伝統芸らしい。

 

サミット前に世界標準を形式的にだけ達成したいが、真剣に取り組む気はさらさらない、そういう強い意志が『増進』には込められてるらしい。

 

 

20年前(2003年施行)健康増進法なる法律ができた。

 

世間一般ではタバコや喫煙を締め出すための法律と認識されていたが、実際には肝腎要な部分を骨抜きにするつもりで世間に歩み寄ったように見せかけようとしたのだろう。

 

幸か不幸かこの20年でタバコや喫煙は徹底的に嫌われた。

 

喫煙するのは、やめられない年寄りか、タバコを喫うことが生き様の主張になると思ってる人くらいのものだ。

 

おそらくLGBTに関してもどのくらいの時間をかけてかは分からないが理解は確実に浸透するだろう。

 

 

今日触れたいのは、増進という強い思いが感じられる表現が現場では骨抜き用語として使われているという点だ。

 

当然ながら増進の反対語も骨抜きにされてることだろう。

 

増進の反対語は減退。

 

日常生活で減退するものの代表格は、元気や精力だ。

 

日本では、サプリとは別ジャンルとしてビタミン剤や精力剤やその機能を謳ったドリンク剤が豊富にラインナップされていて、減退した元気や精力を回復させられるとアピールしている。

 

 

正しい用語の使い方に照らし合わせると、効果は骨抜きにされてるのだろうが。

 

 

減退したための症状だと思ってることのほとんどはきちんとした食事や睡眠を取ることだけで回復するはず。

 

 

 

大谷翔平さんの活躍をあるプロ野球の投手出身の方が、ピッチャーとして投げた翌日に打者としてグラウンドに立つなんて信じられない、自分は登板翌日は軽く体を動かすくらいしかできなかったと言っているのを聞いた。

 

身体能力の違いはあるとしても、根本的な生活習慣の違いが大きいからとは考えてないようだった。

 

 

人の身体に発生する増進や減退はバネの伸び縮みのようなものだとすると、バネとしての弾性を維持することが大切だ、伸びる方にも縮む方にも負荷は均等でなければいけない。

 

 

 

 

頑張ることは、あるいは頑張ると称した骨抜きも、伸びる場合か縮む場合のどちらかの負荷が不均等だとバネの弾性は正常ではなくなるだろう。

 

その繰り返しでバネは本来の役割を果たせなくなる。

 

 

寝ることをゴロゴロするという人にはきっと分からない話だろう。

 

見過ごしがちな投資のリスクで命を失うな

投資にリスクは付きものだが、自分が殺されるというリスクを想定してる人はどのくらいいるだろうか?

 

ドアを開けたら、包丁を持った見知らぬ男 家賃滞納・退去拒否した借り主は最悪の手段を選んだ 「副業時代」の予期せぬ悲劇、どう防ぐ?

管理会社や保証会社ならともかく、どうやってオーナーの住所を知ったのか。男は神奈川県警の調べに対し、こう話したという。「契約書や裁判記録に載っていた」

 

 

記事にはどういう対策をしてれば良かったのかについても書いてある。

 

(1)家賃督促などは、家賃保証会社や管理会社を活用し、入居者と直接交渉しない

 

(2)個人間での契約はせず法人化し、登記にはオーナーの自宅ではなく、レンタルオフィスなどの住所を記載し、契約書にも住所を残さない

 

(3)入居者と管理会社間の契約は電子契約でしてもらい、契約書にもオーナーの個人情報を出さない

 

 

 

この事件の犯人のように実行まで至るのは稀かもしれないが、犯人に生じた動機に共感を感じる予備軍は決して少なくはないはず。

 

 

投資を勧める声は大きく多い。

 

 

多くの人は投資のリスクは、シミュレーション通りに儲かるとは限らないことだと思ってるかもしれないが、そんなつもりがないところで生じている人間関係や利害関係も大きなリスクなのだ。

 

投資のための原資が全額自己資金でかつ全額失ったとしても生活基盤が揺らがないような人以外は、そんなはずじゃなかった、そんなつもりはなかった予備軍なのだ。

 

そして、自分を復讐のターゲットにするのが自分の身内や家族ということすらあり得るのだ。

 

 

ネット上には投資といえば自己への投資だという声も多い。

 

自分の知識や能力を高めるための投資、一見どこにも間違いや落とし穴がなさそうな気になる。

 

 

自己への投資の意欲が純粋に自分の内側から生まれるならばその気持ちに従うのはありだ。

 

しかし、誰かに持ちかけられてそれに乗ることは自己への投資ではなく依存の始まりで、悪い投資だ。

 

 

投資のリスクは得か損かだけではないということは知っておいて損はない。

 

 

リスクに関しては垂直思考は自然にするが、水平思考もお忘れなく。

 

 

人生では、ツキもツケも回ってくるものなのだから。

 

 

冒頭の記事では殺される側だったが、殺す側になることすらあり得るのだ。

 

『ポツンと一軒家』を見るたびに思うこと

耐久レースではレース開始後数時間経過すると、トップが最後尾を追い抜くというシーンが確実に生まれる。

 

多くの場合、トップはあっさりと最後尾を追い抜き周回遅れにするが、ごく稀にトップと最後尾が熾烈なバトルをしてるかのようなシーンが見れることがある。

 

最後尾の意識に火がつくのかもしれない。

 

おもしろいことに、そこから見た人にはトップ争いに見えるのだ。

 

 

人生も耐久レースのようなものだ。

 

人生に同じようなことが起きていても不思議はない。

 

人生にはさらに不思議なことも起こり得るかもしれない。

 

一周先を行く理想的に見える生き方が、実は周回遅れな生き方だなどと。

 

逆にいうと、周回遅れに見える方が先を行ってるのだ。

 

 

一周先を行く生き方としてお手本になるような生き方のテンプレートは、地球は無限の存在だと思われていた時代の延長線上にあるものだ。

 

お金やエネルギーをふんだんに使うことで可能な生き方だ。

 

しかし、地球は有限な上に、生きてさまざまな活動をしてるが、そのどれもがまだまだ未知が多い。

 

未知が多いからか、未知が多いにも関わらずか、有限ゆえの持続可能性が問われるようになっている。

 

 

そのせいで、周回遅れな生き方が突然ワープして、トップ争いに加わり出したのが現代だ。

 

 

俯瞰して時代を見ることができる人の多くはベクトルの変化を感じているはず。

 

しかし、だからと言って行動やその前提となる思考のベクトルを変化させるのはことばで言うほど簡単ではないのは、全ての人が一個人であるとともに、一員の一人という役割を持っているからでもある。

 

社会の一員、会社の一員、家族の一員、これらは孫悟空の頭の輪のように人を締め付け縛り上げるのだ。

 

変化が起きる時や、変化を起こそうとする時に頭の輪っかが締め付けられるのだ。

 

しかし実際には締まってない。

 

一員としての行動に重きを置きすぎると、頭の輪っかが締め付けられてるような錯覚や暗示に陥りやすいだけ。

 

 

 

『ポツンと一軒家』を見るたびに、一軒家にお住まいの方は一周先を行ってるなと感じることが多い。

すべてバタフライ効果のせい

経費削減のために社員を解雇することをリストラと呼ぶようになったのはいつ頃だろうか?

 

ウィキペディアのリストラを見たがはっきりしない。

 

21世紀に入ってからのことだと思うので、Google Trendsで検索の推移を見ると、どうやら2008年のいわゆるリーマンショックの頃のようだった。

 

 

 

 

グラフの動きからそれまで認知されてなかったワードが一気に認知され始めたことが感じられる。

 

今となっては15年前の話だ。

 

 

ChatGPTの登場以来、それなりに荒波を乗り切ったというか何とかやり過ごしたであろう知的職業に携わる人々が職を追われる恐怖を感じているという話を聞くようになった。

 

実際にChatGPTを使って自分の仕事ぶりと比較するからこそ感じる恐怖なのだろう。

 

それは質的に大差ないのであれば、コストが小さい方が良いし、24時間文句も言わずに働けるとなると、どちらが良いかは比べるまでもない。

 

質的に少し物足りない程度であっても、15年前のリストラと同じ現象を起こし得るかもしれないとなるとやはり危機感を誘うだろう。

 

 

あらゆる分野で、さまざまな尺度が適用されているが、そういう現場で格差の拡大が当たり前になっている。

 

同じように行動しても得られる結果は大違いというのが格差の正体だが、しかしながら一人の人間として比較すると同じ現場で通用してる人であれば質的な違いはそんなに大したことないことにも気付いているはず。

 

グローバル化したことで、誰でも自覚がないままに世界と繋がる生活を送っている。

 

つまり、自分の生活環境の外で起きた出来事の影響を避けることができないことがある。

 

地球の裏側の地域で蝶が羽ばたいたことが影響して大問題が起きるようなことをバタフライ効果と呼ぶ。

 

ちょっと失敗はしたかもしれないが、悪いことはしてない、それなのに受け止めるには辛すぎるような出来事が起きるような場合、バタフライ効果のとばっちりを受けているのかもしれない。

 

 

悩んだり落ち込んだりしても得になることはない。

 

反省くらいはしても構わないが、得になることはないかもしれない。

 

 

不運なことは全てバタフライ効果のせいにしよう。

 

幸運もバタフライ効果で訪れるかもしれないのだから。