違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

ストレスと困難の違い!

情報を求めてインターネットで検索する場合や、図書館や本屋で本を探す場合に、わたしはその情報や本がいつ発信されたのか、あるいはいつ書かれたかが気になるタイプだ。

 

無意識のうちに、旧いものよりも新しいものの方が価値があると思っているのだ。

 

一方それとは別に、敢えて旧い本(旧いと言ってもせいぜい10年〜15年前以内)を読み、書かれてる内容に旧さを感じるか、それとも今でも通用してるかを比べたりすることを楽しむことがある。

 

10年〜15年前に書かれているのに今でもその内容が通用するような本を読むと、「この本の著者は10年〜15年後をきちんと予測できていたんだな〜」と感心したり、「ものごとの本質は10年〜15年程度では変わらないんだな〜」と思えたりする。

 

現代に生きてる人は老若男女問わず子供の頃から未来は機械化され自動化され、機械化も自動化も高度にコンピューター制御されることで成り立つと思い込んで来たし、事実そうなっている。

 

効率を求めるならば人間が作業するよりも機械に任せる方が確実でコストも安いという分野はどんどん増えている。

 

機械化自動化が普及する背景には、日進月歩の技術革新と、旧い装置や設備を次から次に新しいものに交換するという作業がセットで必要になる。

 

維持管理のメンテナンスだけでなく、更新頻度を高く保つことで安心や安全を担保していた。

 

更新頻度に影響を与える考え方に、価値は時間の経過とともに減少するという『減価償却』というものがあるが、これはきわめて資本主義的な考え方だ。

 

 

 

機械化や自動化は、資本主義と足並みをそろえて発展していったが、どちらもここに来て、その持続性に疑問が出てきている。

 

 

興味深いツイートがあったので紹介したい。

 

 

 

 

 

 

いろいろな分野で「循環」や「持続性」が成り立たないことが増えている、増えていると言うよりも顕在化してると言った方が当てまりそう。

 

 

 

 

「循環」や「持続性」について考えることは、華やかさは無いしなによりも儲からない。

 

しかし、「循環」や「持続性」を意識したり、実現を考えると、その延長線上にはストレスのない世界観が見えてくる。

 

ストレスがないということを考えると、退屈と同じように捉える人がいるが、ストレスがないということは本当に好きなことをやり続けるためには絶対に欠かせないのだ。

 

逆に言うと、ストレスを感じながらやってることには疑問の目を向けるべきかもしれない。

 

ストレスの多くが人間関係に起因すると言われる現代人だが、一見無関係な「循環」や「持続性」が人間関係に悪影響を及ぼしてると言うのは、興味深い事実かもしれない。

 

 

ストレスが生じると、人間は自分を守ろうとします。

 

 

 

他人を非難罵倒するような場合、話の内容に正当性があるかどうかを意識し、相手の言質を取ったり、ミスにつけ込んでマウントしたりするようになる。

 

こんな人間関係の延長線上には「循環」や「持続性」は成り立たないのは当然。

 

 

自分の身に降りかかる火の粉のようなストレスに対して抗おうとするよりも、逃げれるものならば逃げた方が良い。

 

できることなら近づかない方が良い。

 

 

間違いやすいのが、『ストレスから逃げること』と『困難から逃げること』を同じだと捉えること。

 

 

困難とは、目標や目的に向かうための障害になるもの。

 

ストレスは、目標や目的に向かうことを邪魔するもの。

 

困難からは逃げてはいけないが、ストレスからは逃げなければいけない。

 

 

今抗っているものがあるならば、それが困難なのかストレスなのかははっきり理解しておく必要がある。