違う見方

複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

【謎・不思議】『純』な世界!

純は純粋の「純」だと思うのでこんな風に思ってしまう。

 

 

水は元素記号でH2Oと表すが、これは自然界には存在しないとされる。

 

私たちが、飲んだり利用する水道水や、淡水や海水と呼ぶ自然界に存在する水と称する液体は混ざり物だらけなのだ。

 

だから、完全なH2Oは「純水」と呼ばれ、特別な存在となる。

 

純水を目指し、限りなく不純物を取り除いた「水道水以上純水未満」の状態は、超純水と呼ばれてる。

 

名前からすると純水より上のような印象を受けるが、純水より純度が劣るのが超純水だ。

 

 

純水は毒だという都市伝説は、「純」の持つ魔力のせいかもしれない。

 

 

連ツイが続くがおもしろいはなしの連続だ。

 

 

文学の世界には純文学と言われるジャンルがある、私は本は好きだが私が好きなジャンルは推理小説やサスペンスだったりで純文学はその呼び名を知ってるだけで読んだことはないが、今回「純」をテーマにしてるので少し触れたくなる。

 

読書芸人・オードリー若林、純文学への愛語る

「たまにミステリーとかも読むんですけど、“面白いな”とか“巧いな”とか思っても、純文学ほどガッツリこないんですよね。純文学って荒れ球っていうか、たまたま“バチッ!”と当たった時の気持ちよさがものすごいから。あらゆる娯楽の中で、“あっ!”“あるある!”って思う時の共感のインパクトが、純文学って段違いなんですよ。藤沢周さんの『オレンジ・アンド・タール』なんてあまりに共感し過ぎて、“あれ? これ俺が書いたんだっけ?”って思ったくらいで(笑)」

 

この記事にはこうも書いてある。

 

純文学は、「ダメな人の話」が多い。

 

みんなの目には見えてるんだけど、言葉にはなってないものを拾い上げて書いているのが、小説であり純文学だと思うんですよね

 

 

 

純水、純文学と見たが、先入観で持っている「純」の良いイメージと実際の存在感の間にはかなりのギャップがありそうだ。

 

他に世間にはどんな純があるだろうかと考えると、思い出したのが「純喫茶」だ。

 

私の純喫茶のイメージは、2時間ドラマで犯人が利用する場所というものだ。

 

だから、純喫茶を利用するときは、それとなく周りにいる人を見てしまう。

 

純喫茶のイメージが伝わるツイートを紹介しよう。

 

 

 

 

 

チェーン展開のカフェが増えたことで純喫茶は減少しているが、最近はやりの「映えスポット」としても一部で注目されているようだが、純喫茶の純の由来は何なのだろうか?

 

 

どうやら、「純」が生まれる背景には「不純」との棲み分けという意味合いがありそうだ。

 

 

リンク先の記事の説明によると、

 

純喫茶という名称 ~ かつて飲食店という建前で売春営業が流行っていた時代には、このような店は「特殊喫茶」とか「社交喫茶」などと呼ばれていました。売春や性的行為に関係の無い喫茶店は、性風俗を行う喫茶店と区別する必要が生じ、「純喫茶」という名称を表示することがあったようです。

 

 

 

同様に純音楽というものもあったらしい。

 

 

 

今日のテーマは「純」だったが、ずっと純という字を見ていたからだろうか、純という字がおかしなものに見え始めてきた。

 

私はiPadで書いているので字は間違ってないはずなのに、「純という字はこんな字だったのかな?」と見えて来始めている、私の身に何が起きてるかというと、ゲシュタルト崩壊が起きているのだ。

 

これは、例えば同じ漢字を長時間注視しているとその漢字の各部分がバラバラに見え、その漢字が何という文字であったかわからなくなる現象である

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ゲシュタルト崩壊

 

 

 

 

なんだか、純が不純なものに思えてくる。