違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

リモートワークやテレワークにはノマドに感じた自由さがない

この数日タイムラインでよく目にした話題。

 

 

 

これらの記事を読むと、マイクロソフトが出した論文の要約のような記事になってるのであまり緊迫感が感じられないが、原文で論文を読んだであろう方は緊迫感を感じたようだ。

 

 

 

リモートワークやテレワークというスタイルが一気に市民権を得たのは2020年4月から、もちろんコロナのせいでの最初の緊急事態宣言からだ。

 

GoogleTrends『リモートワーク』『テレワーク』2004年以降

 

<余談>

2007年1月にテレワークが話題になっていたが、調べると2011年まで存在していたテレビ制作プロダクションである日本テレワーク(株)が『発掘あるある大辞典』でヤラセが発覚して話題になっていたので、テレワーク違いだと分かった。

<余談終わり>

 

 

いろいろな意見や感想はあるだろうが、好きでやり始めたことというよりも余儀なくされたことで始まったといういう意味では、束縛を強いられているという側面は否めない。

 

 

少々思い出を語ると次のようなことが懐かしく思い出される。

 

ポケベルですらうんざりしていたのに、さらに携帯電話(ガラケー)の普及で常時連絡可能になったことは束縛以外の何者でもなかったが、2010年頃になるとそのことに不満を持っていてもしょうがないと当たり前のことになっていった。

 

そんな束縛が当たり前の時代に、自由を感じさせるスタイルとしてオフィスを定めないというノマドスタイルが流行した、2011年3月の東日本大震災から少し経ってからだ。

 

オフィスを定めないというよりもカフェを拠点にするスタイルで、典型的なスタイルとしてスターバックスでMacBookAirでドヤ顔をするなどと揶揄されたりもしていたが、束縛されてるという感じではなく自由を謳歌してるように感じられた。

 

その後、ノマドスタイルを当て込んでコワーキングスペースというのも登場し、これは新しい不動産活用としても注目されていた。

 

 

ノマドに感じた自由さがテレワークやリモートワークにも感じられるようになればネガティブな要素は変わっていくような気がする。