惜しまれつつ無くなるものがある。
ローカル線の廃線や老舗の廃業など。
そのどれもが直接の原因はお客の減少による収入減が理由であったり、天災や老朽化に伴う維持改修に伴う支出増を賄えないから。
自分の身近で、自分にも縁があることならば思いもひとしおだろうが、そうでなければしょうがないなと達観してしまう。
古いものが新しいものに置き換わっていくことはごくごく自然なことなのだから。
惜しむ声が多いが、わたしには達観してしまうような話題が流れていた。
【お知らせ】2022年7月29日(金)を以て閉館いたします。54年間にわたり、ご愛顧頂きました皆様に心より御礼申し上げます。閉館までの上映予定、会員制度等の詳細は決まり次第、岩波ホールHP等を通じて別途ご案内いたします。https://t.co/8A7xfkDetu
— 岩波ホール【公式】 (@iwanami_hall) 2022年1月11日
近くを通ったことはあっても縁がないままだったが少し感情移入してみようという気になった。
そうすると、脳内に映画ALWAYS_三丁目の夕日が蘇ってきた。
キーワードは消える昭和かもしれない。
惜しまれつつ消えるものには創業は数百年前というものもあるが、それらの多くは昭和に大きく手が入っているはずだから、醸し出す雰囲気は昭和と括っても違和感はなさそう。
古い映画やドラマを見る楽しみが、いつの頃からか脚本や役者の演技よりも、その背景としての昭和の日本の風景が見られることになった。
ストーリーの展開にはなんの意味も持たない風景に『ああそうだった、こんな感じだった』という昭和の香りが感じられることは今となっては新鮮。
これは『昭和が良かった』という意味ではなく、『万物は流転する』が感じられることであり、『ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。』で始まる方丈記にも通じそうだから。
Twitterで人間関係と検索ワードを入力すると、同時検索ワードとしてリセットが出てくる。
人間関係とリセットは密接なテーマなのだ。
もちろん、時間軸を長く取ると、人間関係だって流転し、同じ人同士の関係性だって元のままではないのだから、リセットは絶えず現在進行形。
建物であっても関係性であっても、はたまた実績のようなものでも、人間は築いたものだと思い込むと、それが崩れることに恐怖するようになる。
しかし、最近は築いたつもりの人間関係がリセットされることを望むようになっている。
昭和の頃は、人間関係のリセットは容易ではなかったはずで、一度生じた関係は長いこと引きずるのが当たり前だった。
自分を含めて周りを見渡せば、全てが流転し元のままではない。
同じように見えても、気付かなくても、万物は常に流転し変化している。
何か悩み事が生じた時には知っておいた方が良いことのはず。