最近の新入社員が会社を辞める理由としてあげるのが『自己の成長が望めない』から、という記事を読んだ。
これらの企業は世間からホワイト企業という評価を受けているとも書かれていた。
ホワイト企業は、社員を劣悪な環境に晒すブラック企業の反省やアンチテーゼとして生まれたものだが、劣悪さが解消されると自己の成長が望めないと思うのはなんともおもしろい。
新入社員に関する話だが、おそらく現代を生きる者の多くに年齢問わず共通する、時代が生み出す課題のようにも感じる。
新入社員が不満を感じるのは、自分のことを諦めてないからで、そんな新入社員を甘えているなどと非難する年上世代がそう思うのは、自分のことを諦めたり世間に迎合することで居場所を確保しただけだったりする。
諦めてない者にも諦めてる者にもそれぞれの立場に応じた不平や不満があって当然だが、その不平不満がすべての立場で一致することはないので、お互いをdisることになる。
居場所が見つからない、あるいは居場所が居心地悪いと思えば、諦めきれないというのは自然な感情のはず。
自己の成長が望めないと感じる場合、最初にアンテナやセンサーが感じるのは『なんか違うぞ』という違和感のはず。
『なんか違うぞ』を体裁を取り繕って表現すると『自己の成長が望めない』となるだけで文字通りに受け取るとなんか違う結果に繋がる。
『なんか違う』は曖昧な表現であり、オブラートに包んだ表現でもある。
ハッキリ表現できない場合もあれば、ハッキリ表現することを意図的に避ける場合もある。
最近のChatGPTブームの理由の一つとして、『なんか違う』というモヤモヤを解消できるのではという期待が大きように感じられる。
『なんか違う』は、楽しくて充実してる心の隙間に突然現れることも多い。
一旦『なんか違う』と思ってしまったら、なんらかの解決ができるまではモヤモヤは継続する。
『なんか違う』は、無い物ねだりのようなものだ。