2023年6月19日に沈没したタイタニック号を直接見学する潜水艇タイタン号が消息不明だと報じられた。
潜水開始後1時間半経過後に消息不明になった。
搭載してる酸素は96時間分で、否応なくタイムリミットが設定され、世界中の関心事となった。
最初の消息不明が報じられてから今日で10日。
まだ10日なのにずいぶん昔のことに感じるのはすでに忘れ始めてるからだ。
この消息不明は予想外な展開の悲劇だったことも後に判明しインパクトは大だったし、後の世にもクイズなどで語り継がれるだろうが、すでに終わった過去の話として心を乱す話題ではなくなった。
膨大な情報の中のひとつに過ぎないのだ。
この事件よりも芸能人のスキャンダルなどの方がよほど記憶には残るかもしれないが、それらも次から次に忘れ去られる運命であることには変わりない。
芸能人や有名人にとっては話題になるのがスキャンダルであっても、話題にならないよりはマシと言われる。
一方、一般人にとっては犯した不祥事や不名誉なことは一刻も早く忘れ去られたいと望むが、それらは検索可能という意味で忘れ去られることは無いというのが現代だ。
検索するまでもなく記憶に残る、それも深くとなると、情報のインパクトが世間的に大きいというだけでは物足りないのだろう。
自分にどれだけ近いか、如何に自分に関係してるかが重要なはずだ。
世間に出回る情報を貪欲に吸収することは、テーマや目的が設定されてなけれただの雑学で終わる。
テーマや目的があって収集された情報はひらめきやアイデアの基になり得るが、そうでなければ別の雑学が増えるだけだ。
現代人に、知識は多くても知恵がないことの理由だろう。
知識はあるけど知恵がないとは、賢いのかバカなのかが判りづらいということでもある。
ただ確実に言えるだろうことはピンチに弱いということだ。
ピンチの多くは、初体験であり未体験な何かに突然襲われることで起こる。
こういう時に出番なのは知識ではなく知恵だ。
言葉で表現すると全く同じことでも、知識で終わる人と知恵に昇華できる人では大違い。
この違いは穏やかにルーティンワークばかりを繰り返せば良い時には判らない。
わたしがタイタンの事故をもう忘れ始めてるのは潜水に興味を持ってないし、ましてや深海なんて、だからであることは間違いない。
しかし、潜水や深海に目的やテーマを持ってる人たちにとっては革命的な出来事だったはず。
現代人は知識は多いかもしれないが、それは雑学の海で溺れてるようなものなのだ。