年功序列とセットだった終身雇用が壊れたことと、人生100年時代の到来は、すべての人がフリーランス化するということを意味する。
すべての人にとって重要なお題が提示されていた。
フリーランスが『老い』に対してどう向き合っているのか結構気になります。
— トミナガハルキ/デザイン事務所AMIX (@asobodesign) 2023年9月29日
このさり気ないツイートは心に刺さった人が多そう。
『老い』に対して何を思い浮かべるかはさまざまあるだろうが、この言葉は本来ネガティブなニュアンスを持たない『未来』や『将来』と置き換えても、意味はまったく変わらないので、全年齢層に当てはまる話でもある。
ここで重要なことは『未来』や『将来』と表現するとポジティブな印象なのに、内容的にはほぼ同じ『老い』と表現するとネガティブな印象に変わるとともに、未来や将来が軽やかな印象なのに老いとなると重苦しいものに変化する、ということだ。
この場合の『未来』や『将来』と同じようなものに『成長』がある。
誰しも成長したいと望んで生きて来たはずだし、続けてれば成長するはずと望んだはず、子供時代には子供時代なりに、そして大人になれば自分の環境に合わせた範囲で。
『成長したい』を『老いたい』とは誰も思ってないだろうが、意味するところは実は大して違わない。
人間とは厄介な生き物で、ちょっとしたことばの違いでモチベーションが上がったり下がったり簡単にしてしまう。
未来や将来には夢や希望があると考えることもできるが、希望はパンドラの箱に封印されていた罪悪でもある。
老いや未来や将来を考えることの対義は、『今』のことだけを考えること。
『常に今に全力を尽くせ』という話を聞くことがあるが、そう唱えてる人ほど未来や将来に妙な執着を持ってることは常だ。
未来や将来は敵なのか味方なのか?
もし敵ならば、老いもまた敵だが、
もし味方ならば、老いはもっと歓迎されても良いはず。
『今』だけを考えて生きることは現実的ではないとするならば、老いを味方にできる方が幸せなはず。