情報の総量が飛躍的に増えたことは誰もが実感してるが、意外と実感できてないのが有名無名に関係なくあらゆる人にリーチ可能になったこと。
個人情報の取り扱いが厳しくなったことで、目の前にいる人よりも、自分をオープンにしてる直接は見れない人の方がリアリティが高く近い関係に感じられることが珍しくなくなった。
身近な人よりも、どこか遠くの人が吉報をもたらすのではという錯覚も強くなるだろう。
買ってもいない宝くじが当たりましたというような話は、知らない他人から届くからリアリティが高まってると思うと興味深い。
そうなったことは、チャンスだけでなくピンチや絶望にもたやすくリーチできるようにしてしまった。
詐欺の被害者になるというような話だけでなく、昔だったら校内で上位とか地域で上位などは手を伸ばせば届きそうだったが、今は瞬時に全国順位に置き換わるので、ほとんど人はどんなに頑張ってもせいぜい中間層を抜けられない。
良いことも悪いことも物理的に近い環境(人間関係であっても)で生じるものから物理の制約が解き放たれた。
一般的に良いことは努力や頑張りのおかげで達成されたと考えられがちなのに対し、悪いことの多くは環境のせいで起きたと考えられがち。
その環境がたまたま身近にあったから。
自らその環境に飛び込んだから。
環境が人間関係ならば環境の方が擦り寄って来たからという場合もあるだろう。
過去の栄光話はあっという間に陳腐化するが、過去の悪事や不祥事は色褪せずにいつまでも新鮮さを保つ。
環境の中心に情報が居座るようになったが、環境には大きく三種類がある。
- 自然環境のように受け容れることしかできない環境
- 他人が作った環境
- 自分で作った環境
環境としての情報のほとんどは他人が作ったものだ。
他人が作った環境でも、自分なりの解釈を加えることができれば自分で作った環境に加えることができる。
自然環境ですら解釈の幅は存在する。
解釈が加わるということは、判断することにつながる。
良くも悪くも環境のせいだなと思うことのほとんどは自分のせいなのだ。