毎日コツコツ仕事や勉強に励み、掛けた時間に正比例するように結果が付いてくる。
誰もがそういうことを理想とする。
励む対象がスポーツや遊びや趣味でもだ。
しかし、正比例で結果が付いてくることはあるレベルまでで、このあるレベルというのは人それぞれ。
あるレベルを超えると頑張っても結果は正比例には遠く及ばなくなる。
そんな経験をするからこそ、自分より上のお手本にしたい人の真似をしたがる。
そして、お手本にしたい人が効果的だと勧めることに飛びつくようになる。
こうして無自覚なうちに、頑張ることと情報収集することが重なり始め、やがて頑張ること無しに情報収集だけでのし上がれるのではないかと望み出す。
一時期もてはやされた人脈なるワードも、人間関係の情報化でありその結果の情報収集化だったのだろう、今でも夢中な人は少なくないはず。
現代の情報化における競争は、大元の情報を持ってる人と情報を受け取るだけの人との間の情報の差分がそのまま格差に繋がっている。
情報の差分にこそ価値があることを理解してる情報所持者は決して差分は手放さない、つまり差分は誰にも教えない。
しかし、同じ土俵に上がりさえしなければその差分はどうでも良い程度のことだ。
人は無知を恐れる、無知ゆえに損はしたくないし他人から無知な人だと思われたくない、だからこそ知りたがる。
これが情報収集のモチベーションになりやすい。
逆にいうと、真に価値ある情報は簡単に流通などしない。
いわゆるとくダネ的な情報は遅かれ早かれ誰でも知れるのでエンドユーザーには世間話のネタ以上にはならない。
簡単に収集できる情報は知ったからといって損にはならないが得にはならない、その程度だ。
熱心に情報収集する人が求めているのは再現性の高い成功のノウハウ的なもの。
果たしてそんなものが本当にあるのか?
もしあったとして、それを誰かに教えればその分だけきっと再現性は低下する。
再現性の高さには、その情報が通用する旬の期間も関係する。
このように考えると、未来に向かってのノウハウを情報収集に頼ることは愚策だと分かる。
しかし、多くの人にとって自分が本当にやりたいことなんてものはない。
だから、情報収集して自分がやりたいことを探し続ける、愚かだなんて思うどころか賢明なつもりで。