世間から何となく与えられるものに権威がある。
日本では年齢を重ねることは年の功などと表現するのも一種の権威として機能する。
しかし、そんな流れが決して歓迎されてないことは老害という表現が定着したことから分かる。
以下での老害とは、年齢だけを意味するものではなく、年齢を含めて過去の実績が何となく評価されることで何となく権威らしきものを身に纏った人と定義する。
そんな老害と相性が良くセットで機能するものに自信がある。
つまり、老害ほど自信を持っているのだ。
逆にいうと老害の拠り所は自信なのだ。
自分に自信がある者が恐れるのは自分を超える者が登場すること、自信が喪失するから。
だから、自分を超えそうな人を自分の下に位置付けたがる。
そのために機能するのが権威。
権威が力を発揮するのは人材起用に関して。
本来ならばその都度適材適所を求めてオーディション形式で選ばれた方が良い状況でも、権威の鶴の一声が罷り通る、日本では。
権威の下には、ファミリーと呼ばれる権威に縋って生きている集団がいる。
権威にとっては、無条件で自分を支持するファミリーは最も大事な存在になる。
だから、権威は伸びる芽を摘みたがる。
自分の縄張りで育つなら許容するが、そうでなければ刈り取り排除する。
自分の縄張りで育っても一定以上には伸びないように絶えず剪定を繰り返す。
自分に自信がある人は、『この人は老害(権威)だな』と感じる人との接点は最小限に留めた方が賢明だ。
自信がある人が縄張りに囲い込まれることはストレス以外の何者でも無くなる、遅かれ早かれ。
縄張りに囲われることが魅力的に感じられるのは最も初期の段階だけだが、縄張りの所属メンバーが増えると結局は縄張りの中でさらに別の権威に縋ることになる。
最近急速に明るみに出る各種の芸能事務所関係のトラブルは権威構造に目を向けると単純な出来事だと判明しそう。
権威も空気なのだ。