完全オリジナルの創作に価値があると思う人は模倣をバカにしがちだが、人間は残念ながら知らないことは考えられないので、知ってることのほとんどすべては自分の外側から入手したものにならざるを得ない。
自分の外側の情報がすべての始まりだということは模倣そのものでもあり、アウトプットは模倣の組み替えに過ぎない。
自分しか知らないことを持ってる人が、そのことを創作として表現できたならそれは完全オリジナルだが、これまた残念なことにそんなものはほぼ存在しない。
つまり、完全オリジナルの創作と評価されてるものも、それを構成する要素レベルで見ると模倣の寄せ集めや組み合わせのバリエーションに過ぎない。
結局、創造とは模倣の組み合わせやバリエーションなのだ。
逆に言うと、模倣をバカにする人には創造は不可能になる。
『歴史は繰り返す』という言葉がある。
模倣してるわけではないのに同じだと総括される程度のことを繰り返すのが人間だとすると、発明や発見やイノベーションも、未来の人からは『昔から人間は同じことばかり繰り返してるな』としか見えないかもしれない。
歴史上の偉人が現代に蘇ったらおそらくただの凡人として人生を終えるだろうし、スティーブ・ジョブズやイーロン・マスクが未来に生まれ変わっても同様なのかもしれない。
だとすると、現代に生きてる人の中にはもしかしたら過去の偉人の生まれ変わりなのにくすぶった人生を歩んでいるが大勢いるのかもしれない。
すべての人が、自分だけのオリジナルだと思いながら真似や模倣を繰り返すのが人生なのだ。
だからこそ神様を創り上げて、お願いやお祈りをするのだが、それこそが究極の模倣なのかもしれないし、占いなども同様だ。
所詮真似だらけの人生だと思えば、誰に対しても引け目やコンプレックスを感じる必要はない。
創造と模倣は双子のようなもので、違うと言えば違うが、同じだと言えば同じで、決して敵でもなければ対立するものでもない。
出る杭は打たれる、されど出過ぎた杭は打たれない。
創造と模倣にも当てはまりそう。