次から次に処理する能力と似てるようで違いそうなのが同時に処理する能力。
人間に関してだと、同時に複数の処理をするマルチタスクは実はシングルタスクの流れ作業で、同時に複数のことは軽い作業しかできないと言われる。
見ながら喋るや歌いながら踊るなど。
軽い作業といっても練習や訓練無しでは簡単ではない。
音楽を聴きながら勉強するなんていうのもあるが成果を問うと、同時にできているとは言えないことの方が多そうな気がする。
実際にできるかどうかは別にして、同時に処理したいあるいは同時に対応したいと思うことは少なくない。
同じタイミングで優先順位を付け難い複数の課題が発生することが珍しくないからだ。
同時に処理をすると考えると大袈裟だが、大きくふたつに分かれる反応がある。
- 今日できることは今日中に済ませる
- 明日できることは明日に回す
やらなければいけないことが同時に複数生じると人はストレスを感じる。
ストレスは苦しく辛いものとは限らず、楽しいけどストレスということも含まれる。
ストレスである以上その程度が問題になる。
好きなことを仕事にすると単純には楽しめなくなるように。
人間が人間である以上根本的なキャパシティには自ずと限界がある。
どんなに努力しようが100m走のタイムは今の世界記録から大きく伸びることなどあり得ないように。
だからこそ伸ばしたい能力は外部化される。
機械化や自動化やIT化やAI化などを駆使して。
外部化も駆使してどんなに処理能力を高めようとも、どんな情報に価値を見出すかの判断はまだまだ人間の方が強いかもしれない。
しかしながら、情報処理能力だけを求めた結果衰えたのが情報の取捨選択能力だとすると、起きてる現象はきっと本末転倒になる。
情報過多の現代で、高度かつ同時に情報を処理することを求めた結果、すべてのプロセスを省略し答えだけを求めるようになっている。
すべては情報の取捨選択能力が衰えたからだ。
その結果情報に弄ばれる。