理由がどうであれお金がないことが悩みの人が、相談する相手を間違うとドツボ(土壺)にはまるという話は多い。
趣旨に反対なわけではないが奨学金なんてものすら夢や希望を食い物にしてるくらいだから。
相談相手がその相談を受けることをビジネスとしてるとすれば、そうそう都合の良いことは起きるはずがない。
「借金減額」ネット誇大広告のワナ 弁護士の貧困ビジネスか、対策団体発足
弁護士を解任し、送られてきた明細で初めて、約2年間で返済のために支払った87万円の半分が、弁護士費用に充てられていたと知った。任意整理で弁護士が消費者金融側と確定させた金額は把握していなかったが、残った借金は自身が当初認識していた200万円より増えており、「どういうことか分からない」と戸惑う。
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相談する価値は、悩みの直接解決というよりも、悩みを聞いてもらうことで気持ちが軽くなれることや気持ちをリセットできることにある。
それ以上のことは相談の範疇を越える。
相談することで直接悩みを解決できるような場合の相談相手は、強力な人間関係がすでに出来上がってるような場合だけだ。
良好な家族関係、師弟関係、主従関係など損得を度外視しても自分の味方をしてくれる人間関係がある場合のみ成立する。
逆に考えると相談に対価が発生するような場合は、相談するという気持ちで臨むようでは相手の思う壺になるという覚悟が必要だ。
弁護士に代表される『士』業、『士』は世間から先生と呼ばれたがるし世間も呼びたがる。
相談相手に相応しそうな『士』が本当にそうなのかは、相談せざるを得なくなってからでは判断できない。
相談したい時はすでに人生の荒波に溺れてるし遭難してるのだから。
溺れてる人や遭難してる人をターゲットにする『士』という藁が、溺れてる人の周りをわらわらと漂っている。
現在は被害を受けた人を救出救助する存在として機能している警察や消防や自衛隊は、そう遠くないうちに相談相手に格下げされるかもしれない。
赤の他人あるいは身内でも赤の他人同然の付き合いしかできてないなら、相談は絵に描いた餅にすらならない。
好きな表現ではないが、自助という概念は忘れてはならない。
そして、良い意味での相談相手がいる人はその人への感謝を忘れてはいけない。