『忙しい』と言われたことや言ったことは誰にでもあるかもしれないが、その意味は時とともに大きく変化した。
忙しいことが商売やビジネスが繁盛してることを確実に意味したのはせいぜい1990年代までだろう。
21世紀に入ると、繁盛ゆえに忙しいというよりも雑事にかまけてという意味に変化した。
次々と導入されるITデバイスやシステムに慣れるためだったり、それに合わせてソフトやアプリに慣れるためだったり、体裁の良い資料作りやデータ整理だったり。
当然残業の意味合いも変化する。
繁盛ゆえの残業ならば会社は喜んで残業代を出すし、なんなら割り増ししたが、儲かるわけではなく電気代などの会社のリソースを消費しての残業ならば削減の対象になるのは当然。
個人レベルでも忙しいと答えるのはいつの間にか体の良い断り文句になっていった、面と向かって断るよりも後腐れやしこりを残さないために。
さらに時代が進むと、忙しいの意味合いは無能や役立たずの意味合いすら持ち始めるようになった。
忙しいけど充実してる、忙しいけど儲かる、そんな話は過去のものになった、そんな時代の名残りとして忙しいにはポジティブな香りをいまだに感じる人はいるかもしれないが。
しかし現実は違う。
必然的に本音レベルでは『忙しい』は嫌われるようになったはずだが、『予定が入ってる』と言い直すとまだポジティブな需要が感じられる。
つくづく人間は状況に応じて演じる生き物だなと思う。