少し話題になったエントリーだ。
ここに書いてあることは、スタートするかしないかに直面した時の永遠のテーマだ。
起業やビジネスだから専門性を帯びて、悩ましくなる。
同じやり取りが、禅問答のように繰り返される。
この答えが、”まず始めろ ”と言うことをわかりやすく言うと。
目的は、自転車に乗ること、とすると。
動機は、自転車に乗ってる友人が話す自転車の話が面白いから。
しかし、自分は自転車に乗れない、というか乗ったことない。
友人に相談してみた。
「僕も自転車に乗ろうと思う。そして一緒に走ろう。ところで、お勧めの自転車は何? 」
この問いに対する友人の答えは、人柄で変わるだろう。
嫌なやつだと、「僕が乗ってるロードレーサーは50万だけど大丈夫?」
でも、いい人だと、
「まず自転車に乗る練習が必要だね。安いやつで良いからサイズが合ったのを買って、乗れるようになろう。そして乗れるようになったら長距離走るために練習して体力をつけよう。体力がついたら、一緒に走ろう」と答えるかもしれない。
この答えに対し、乗る練習もしたくないし、キツイこともしたくないので、楽な方法を探そうとし、なにもしないまま時間ばかりが過ぎ、しばらくしてまた同じ相談をする。
この友人が最後に言う言葉は、「とりあえず、自転車買おうよ! そうしないと何も始まらないよ」となるってこと。
ところでこの手の話は、日本人には当てはまることが多い気がする。
日本人のメンタリティに、変化することを嫌悪するということがあるようにも感じる。
悲観的な傾向を持つ、確実性を重視する性向が強い集団は、同質性を好む方向に行きやすい。
伝統的に持ち合わせているメンタリティにプラスして、現代社会の特性の影響も受けているだろう。
メンタリティという言い方をすると、DNAにインプットされてるような印象があるが実際には、この100年位の間に従っていたしきたり的習慣の結果、こころの表面にこびりついた程度のものだろう。
日米の生産するシステムの違いは、生産される製品の違いとなって表れる。藤本によれば、日本が得意とする製品のアーキテクチャが「クローズド・擦り合わせ型」であるのに対して、米国が得意とする製品のアーキテクチャは「オープン・組み合わせ型」である。擦り合わせ型とは「ある製品のために特別に最適設計された部品を微妙に相互調節しないとトータルなシステムとしての性能が発揮されない[15]」アーキテクチャで、その典型は自動車である。自動車では、部品の90%以上が専用設計の部品を使っている。組み合わせ型は、業界標準のインターフェースを持った部品(モジュール)を寄せ集め、組み立てるだけで製品が機能を発揮するアーキテクチャで、その典型は、パソコンである。ハードもソフトも、業者の垣根を超えてモジュールが規格化されており、たんに組み立てるだけの事業なら、新興国の企業でも簡単に新規参入ができる。
藤本は、擦り合わせは日本人のDNAに刻み込まれた能力ではないと言っている。
藤本隆宏. 『日本のもの造り哲学』. 東京: 日本経済新聞社, 2004. p. 17
この摺合せという作業と摺り合わせができるために必要な、人間関係を含めた環境が、元々持ってたメンタリティを加速させたのかもしれない。
「クローズド・擦り合わせ型」という価値観は、昭和的なものだ。
肝心なことは人間の頭脳で処理することが大事だった時代の価値観だ。
高度経済成長という記憶は歴史の中の出来事で、もはや再現はしない。
頭とメンタリティを、「オープン・組み合わせ型」に切り替える時期に来ている。
伝統や過去にとらわれる経営者と頑張ることで活路を見出そうとする人が、一番変われずにいる。
切り替わらない会社はブラック化し、特に現場の人が心と体を病む。
そろそろ茹でガエル状態から逃げる準備をしよう!
冒頭で自転車を例え話に使ったので、「オープン・組み合わせ型」の成功した日本企業を紹介しよう。
自転車と釣りをやってる人は誰でも知ってる。
この会社は、本当に賢いと思う。
「オープン・組み合わせ型」は、モジュール化し、参入障壁が下がるのでライバルが増えやすいのだが、品質の高さで防いでいる。
この品質の高さは、日本人のメンタリティに由来する気もする。
元々持ってるものを最大限活かした例だ。
元々持ってるだけでは活路が開けないこともあるという話は次回。