以前"予定調和"の反対語は何になるのだろうかと考えたことがキッカケで書いたエントリーが予定調和って面白くないだが、未だに明確な反対語は不明なように感じるが、予定調和ということばが持っていた安定感や安心感がどんどん薄らいでいるように感じる。
前回も書いたが、日本で使われる予定調和の意味合いは「予測どおりに物事が起きること」で、これは日本流のガラパゴスな使い方だ。
いろいろな場での、人間関係の采配に感じたり、農業や漁業など、気象や自然を相手にする場合や、日常生活に感じる季節感などに感じることが多い。
これらを、何度も経験すると、やがて自然に、「世の中はそういうものだ」と思えるようになってくる、つまり"空気"が出来上がる。
そんな予定調和な空気が醸し出すのが、「寄らば大樹の陰」であり、「赤信号皆で渡れば怖くない」だ。
多くの人が、そんな空気に従って生きようとするのに、なかなかうまく行かないことが世間に増えている。
世間の大樹は、簡単には"寄せて"くれなくなった。
そんな時にきっとこう思うだろう、
「こんなはずじゃなかった」と。
こんな言葉がGoogle Trendsででるとは思わなかったがやってみると、
大きな山は2014年の10月。
この時、何があったんだと調べてみると、福岡県警が出した暴力団排除マンガ「こんなはずじゃなかった」が話題になっていた。
暴力団排除マンガ「こんなはずじゃなかった・・・」配信中です 福岡県警察
分かれ目はここだったなという部分は、
このマンガを読んだ人の反応を見てみると、社畜やブラックと同じ構造だと感じてるようだとわかる。
決して望んだことではないが、間違っているとは思えない行動の連続で、取り返しがつかなくなる。
"こんなはずじゃなかった"を検索して、たくさんの事例を見ると、ほぼ2つに集約できるようだ。
・続くと思ってたことが続かなかった。
・"もっと"があると思ったのに無かった。
"続く"と思いたかったものの多くは"関係性"で、人間関係だけでなく、自然や気象がもたらすものも含まれる。
"もっと"を求めるのは、多くは自分に関してのことだ。
"こんなはずじゃなかった"時、足りなかったのは運なのか、それとも努力なのかと考える人が多いからなのか、反省点や間違いを見つける話が多い。
しかし、実際には反省することなんか何も無いという事も多い。
そういう時は、気分が変わる話を聞きたくなる。
30代女性です。
ここのところ、悲しい出来事が続いています。
2回連続で流産(原因不明)、寝耳に水の転勤辞令、夫がうつ病発症、身内の病気や不幸…
私自身は幸いにも何とか体調は保っていますが、心が折れそうになる寸前だなと感じています。
こんな状態も長くは続かない、今が踏ん張りどころだと思ってはいますが、やはり辛いです。
タイトルにも書きましたが、「人間万事塞翁が馬」、「災い転じて福と為す」のようなエピソードをお持ちの方、私に教えていただけませんか。
こんな辛い事があったけど、今となっては却って良かったと思われるような体験、是非聞かせてください。
少しでもこの辛い状況の励みにさせていただきたいと思います。
よろしくお願いします。
※太字、下線は私が入れました。
さいおうがうま【塞翁が馬】
人間の禍福は変転し定まりないものだというたとえ。人間万事塞翁が馬。
"災い転じて福となす"と"人間万事塞翁が馬"をGoogle Trendsで比較すると、
"人間万事塞翁が馬"ということばが、思っていたよりも遥かに世間に浸透してることに驚いた。
私は、聞いたことあるけど意味なんだっけと、調べなければわからなかった。
ついでに、"こんなはずじゃなかった"も加えて比較すると、
苦しいことや、辛いこと、思い通りなならないことが起きた時、嘆いたり、反省するだけでなく、そのことを糧にしたいと思う人が多いことに気付く。
それにしても、"塞翁が馬"のピークは2010年7月なのだが、一体何があったのだろうか?(グラフだけ見ると東日本大震災かなと一瞬思った)
検索すると、ワールドカップから帰国した、当時の監督岡田武史さんの記者会見で自身の座右の銘と語って話題になっていたのだ。
なお、"人間万事塞翁が馬"の"人間"は、"にんげん"ではなく、"じんかん"と読むのが本来らしい。
ひょっとすると、今夜(明日早朝)のワールドカップの対ベルギー戦、「こんなはずじゃなかった」ことが起こるかも!