三週間続いたパリオリンピックが終わった。
全てが過去になった今、私にとって最も印象的だったのはというと阿部詩さんの号泣シーンだ。
そしてその号泣に対して世間の誹謗中傷やバッシングが少なくなかったことだ。
誰もが脳内でストーリーを組み立てている。
実際に見たことに加えて伝わってくる情報やたまたま目にした情報を基にして、きっとこうだったのだろうという事実や真実を想像し推理しながら一連のストーリーを脳内で組み立てる、多くの場合邪推に過ぎないが。
そんな邪推に感動したり怒ったりしながら我々は日常をエンターテインメントしているのだ。
一方で、宮崎で起きた地震は南海トラフ大地震が迫っていることを想起させ緊張感や危機感を感じさせるが、この緊張感や危機感もエンタメの一種であり利権の基になってるという説もある、どれもこれも人間が脳内でストーリーを組み立てる生き物だからだ。
ストーリーの組み立てを主導するのは感情であり、感情は脈絡のない断片的な情報を結びつけがちなので陰謀論のようなものに向かい出す、それはそうなることを恐れているからでもあるだろう。
しかし、そうならないために確実な事実を体系付けてきちんと理解するということはなかなかしない。
ジグソーパズルを組み立てるように体系付けるつもりで臨んでも、全てが上手くつながるためには程遠いピースしか手元にはない場合がほとんどだから、ピースが無い部分は邪推で埋めて組み立てることになる。
そういう意味で言うと、悪意に満ちたようなストーリーであっても成り立ちには悪意は無かったかもしれない。
39年前の今日の夕方日航機が墜落して520名が亡くなられた。
現在40代半ばより年齢が下の方はリアルタイムではこの事件の記憶は無いはず。
当時の通信や撮影や報道のレベルでは、今だとすぐ分かるはずのことがなかなか分からなかった。
ずっと長い間事実だとされていた内容に、最近びっくりするような事実の隠蔽があったとする陰謀論のような暴露話が出てきている。
この陰謀論のような暴露話が出てきた背景には、真実を隠したまま死にたくないという死期を意識してるからこそという動機があるとするなら、脳内では暴露話を支持したいという感情を無視できなくなる。
うんざりするような猛暑は地球温暖化を超え地球沸騰化という表現にシフトさせてるが、肝心の地球はどう思っているのだろうか?
きっと地球は『地球は何も変化してませんよ』と答えるだろう。
現在地球の表面で起きてることは地球目線では何も起きてないのとほぼ同じはず、そう考えると幸せなことも不幸なことも多分なんの違いもないはず。
そのくらいのつもりで一喜一憂を止めるのもありかもしれない。