色んな場所を歩いたり、自転車に乗ったり、車を運転したりしながら気付くことがある。
現代人は視野が狭くなっていると。
比喩的な意味ではなく、そのものズバリで、見てる範囲が狭いのだ。
スマホをいじってるケースも多いが、そもそも動物としての感覚が劣化していると感じることが増えた。
だから、当然見えていて気付いていると思ってるのに、実は全く見ていないという状態が多くなり、ヒヤッとすることがある。
自分が当事者でない場合にも気付くことが多い。
自分自身が、ちゃんと見てなくて気付いてないこともある。
このパターン以外に、気付いているのだがその後の反応が遅いというケースもあるし、最近増えているのが、気付いているのに嫌がらせのように気付いてないふりをすること。
反応の遅さも、嫌がらせも、気付くのが遅れたためであるが、お互いに突然相手が変な行動を取ったように感じて、感情を害しトラブルになることもある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/視覚
視野の大きさは動物種によって異なる。ヒト健常者の視野は、垂直方向に上側60度、下側75度程度である。水平方向では、単眼の場合、鼻側60度、耳側100度程度である。したがって、両眼で重複する視野が120度程度存在する。このことにより両眼視差が生じており、両眼立体視に寄与している。
機能としては備えているので、見えてないから取ってるように見える反応や行動は、見えてないからではなく、見ようとしてないから起きている。
見ようとしないのは、たぶん考えないから。
考えないのは、感じないから。
うまくいくときのループ。(個人的な持論)
おかしな行動の前段階には、「考える」が無いか、「考え方が変」がある。
「長時間労働で疲弊した人は新聞を読む気力もなく、物事を深く考えなくなる。少しの情報だけで自分の意見を決める。それが世論になってしまう。欧州では家族で食事をとりながら会話をしたり、広場やカフェで自由に議論をしたりする。時間に余裕があるかどうかは、民主主義の成熟と深く関わっている可能性がある」
(福井新聞、2017年3月20日)。
考えなかったり、考え方が変なのは、「感じる」が無いか、「感じ方が変」だから。
人間の脳は、しんどいことはなかなか覚えないくせに、ラクなことはすぐに覚えるんです。
――脳がラクをしないためには、どうすればいいのでしょうか?
“自分で考える癖”をつけるしかないです。僕は物心ついたときから虫が好きで、最初は形や生態を観察するだけだったけれど、そのうち採集を始めて自分でオリジナルの標本を作るようになりました。虫の世界は本当に不思議なことだらけ。人間よりもはるかに歴史ある虫の生態は、探っても探っても尽きることがないんです。なんでこんな形をしているんだろう、どうしてこんな場所に住んでいるんだろう。とにかく知りたいから自分で調べるんですが、当時は今みたいに懇切丁寧に説明してくれている雑誌なんてない。難しい文章を一生懸命読んでみて、足りないところは自分の想像力で埋め、それでもわからなければ実際に現物に触れてみようという好奇心が生まれる。“知りたい” “不思議だ” “なぜだろう?”という感覚があれば、イヤでも考える癖がつくわけです。
運転免許証がゴールドの人は無事故無違反で安全運転してると思われるが、実際には違反や事故を起こしていても摘発されてないだけの人もいるし、日常的に運転しないから事故も違反も犯さないというだけの人もいる。
評価されるが、実態が伴わないことは世間にはよくある。
自分は大丈夫と思ってる人が陥ってる罠はないだろうか?
今日のテーマに合いそうなツイートがあった。
昔、市場調査の手法を学んだ時に、どのような手法/メディアを使って、どのようなサンプリングや質問票を作っても、本当にキリがないほどの「バイアス」があると分かって、新鮮で面白かった記憶があります。
— 波頭亮 (@ryohatoh) 2017年4月12日
...https://t.co/dpnaILKaC6 #NewsPicks
客観的に眺めていると、他人の持つバイアスに気づくことは、さほど難しくありません。でも、自分が何か(ドラマのストーリーでも、仕事でも)にどっぷり漬かっている時、自分自身が持つバイアスに気づくのは、容易ではありません。
自分がバイアスのかかった眼で見られた時、不愉快に感じることでしょう。大事なのは他人の持つバイアスに気づくことに加え、私たち自身が持つバイアスに自覚的になることではないでしょうか。
https://ja.wikipedia.org/wiki/バイアス
バイアスは、悪いことばかりではなく、個性だとも言えるだろう。
感じ方の根底には、人それぞれのバイアスがある。
だから、自分自身のバイアスは自覚できる方がよい。
バイアスに沿って生きるのか。
バイアスを修正して生きるのか。
決めるのは自分自身だ。