違う見方

誰でもできるけど、自分にしかできないのが、判断するということ! 情報過多な現代は偏り(バイアス)も強いので思わぬ方向にずれていくこともある。そんなズレを修正したりブレーキをかけるために少し違う目線を持ってみたいという備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

『暴露』の反対語は『詭弁』!

昨年から盛り上がりだしたMeToo運動や、今年に入ってから噴出するスポーツ界のハラスメントや不祥事に対する告発は、世間の人々からすると予告なく突然起こることから、暴露と感じることが多い。

 

暴露される内容は、一般的には、強い者の弱い者いじめだ。

 

だから、暴露の始まりは"窮鼠猫を噛む"と、世間の人には見えてしまう。

 

8月末に突然発覚した体操界のハラスメント問題。

 

事実関係は別にして、世間の人々の目にはどう映っていたのだろうか?

 

 

 

 

 

最初の暴露が、告発としての力を手に入れるためには、追い風が吹く必要がある。

 

追い風は、身内の体操界からも吹いた、大勢が支持してくれたが、やはり有名人が味方につくと強い。

 

 

ハラスメントの告発やMeTooは、「裸の王様」と同じだと感じる。

 

王様は裸だと皆気付いているのに、皆口々に「透明な服を着ている」と言う。

 

透明な服はバカには見えないと言われていたので、バカだと思われたくない人は皆「透明な服だ」と言った。

 

翻って、現代の暴露を考える時、透明な服』という詭弁を躊躇なく使うための、『バカだと思われたくない』に相当する動機は何になるだろうか。

 

これは、ゲスな言い方をすると、おこぼれに預かりたいという気持ちだろう。

 

その前提として、そこに権力が存在していて、その権力の大きさを過大評価するという錯覚が働いているからだろう。

 

錯覚については、この本がうまく説明している。

人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている

 

世の中には、おこぼれに満足するだけで終わる人と、おこぼれと引き換えにトレードオフしてるものに気付く人がいる。

 

いずれにしても、おこぼれに預かっていたという意味では共犯関係になるので、関係を清算するためには、キッカケやタイミングが大事になる。

 

そういう意味では、今年はキッカケやタイミングが掴みやすいと言えるだろう。

 

 

日本の体操界では、ハラスメントと言えばパワハラのようだが、アメリカではセクハラのようだ。

 

 

 

ところで、MeToo以降の数々の暴露案件を見ていると、本来の暴露の反対語は隠蔽なのだが、実態的には、反対語は詭弁になるような気がする。

 

 

暴露の反対語を詭弁と捉えると、一気に政治色が強くなる。

 

 

 

 

 

「裸の王様」の話は、単なる童話だと思っている人の多くが、現代でも無意識の内に、自分のビジネスに関する世界では、「あの方は、透明な服を御召になっている」と躊躇せず使っているはずだ。

 

 

 

もしできるならば、裸の人を見て、「透明な服を着ている」と本気で言う人とは付き合わない方が良いし、そういう人が身近に多い場合は、環境を変えるべきだろう。