言葉は同じでも、その意味や持っているニュアンスは、時代が変わるとともに変化する。
大きく変化するわけわけではなく、微妙に変化する。
そう言う場合は、おそらく該当する反対語も変化する、というかシフトするだろう。
例えば“愛”。
Twitterから、さまざまな哲学的な“愛”を拾ってみた。
愛の反対語は何になるだろうか?
愛の反対語は、憎しみではなく無関心です マザー・テレサ
— shiawase_na_okanemoc (@shiawase_na_oka) September 24, 2018
須賀原先生の「愛国心の反対語は人類愛ではないか」というお話は、非常にロジカルであり大納得。
— 織田曜一郎/Oda Yoichiro (@odayoichiro) September 12, 2018
「国家」の対義語は、思想的には「個人」だと思います。この場合の「個人」は「自分」「自己」という意味じゃなく「全ての個人」。ということは「人類」。
— 須賀原洋行 (@tebasakitoriri) September 12, 2018
人類を愛する心……「人類愛」だと思います、「愛国心」の反対語。 https://t.co/J0iJIbjeG0
愛は、単独で存在する言葉ではなく、相手や対象を持つ言葉である。
もし、“愛”の意味が変化する場合があるとすれば、相手や対象の変化が起きているかもしれない。
相手や対象がいる場合には、その関係性も大きく影響するだろう。
恋愛ならば対等な関係を連想するが、実際には上下関係や主従関係があることは多く、他にも依存・被依存関係や支配・被支配関係などもある。
親子愛や家族愛にも、これらの関係性に似た関係が当てはまるだろう。
十把一絡げに“愛”と言っても様々な“愛”があるが、そもそも愛の始まりは自己愛で、自分を愛せない人間は、自分以外も愛せない、と唱える心理学者は多い。
マザー・テレサの「愛の反対語は無関心である」という言葉から「憎しみの反対語は無関心である」という言葉も容易に想像し得るし、そうすると「愛と憎しみは同意語である」との結論が導かれる。
— 卯月 秋千 (@puzukith) July 10, 2018
いい事聞いた。
— momo (@imorinotaigun) April 13, 2018
ヘイトの反対語は愛ではなく敬意
そうだよね。
見知らぬ他人を愛する事なんて出来ないけど、敬意を持って接する事はできる。
敬意
素敵な言葉だ#nhk_suppin
このお話は知っています、そうですね依存症の反対語は絆と人々の愛かも知れません https://t.co/8FtJevKHRT
— えれみ®やん (@mental712) February 16, 2018
「愛の反対語は、正義だと思う。正義って、人を「あっち側」と「こっち側」に分けるでしょ。」「どうやって、「あっち側」と「こっち側」を作らないでひとつになれるか。そのためにラジオをしまっちゅの皆さんに届けてきたんですよ。」#麓憲吾https://t.co/IXOq1JU6Nl
— papachi_no@あそびびと (@papachi_no) November 26, 2017
反対語を定義することで、持つ意味が鮮明になる。
しかし、反対語だけでは上手く表現できないこともある。
「愛」に力点を置くならば、「憂国心」も納得だし、「国」に力点を置くならば「人類愛」という言葉も導き出せる。
— 織田曜一郎/Oda Yoichiro (@odayoichiro) September 12, 2018
なるほど、納得。面白い。
私は「反対語じゃなくて真ん中語みないな概念ってないのかな。全部、『中庸』に収斂されちゃう気もするが」みたいなことを考え始めていました。
『愛』というありふれた言葉ですら、全員が共通の認識を共有することは難しくなっているかもしれないし、使っている本人も反対語を意識しないで使っているとすれば、意味する内容はかなりあやふやなものになっているだろう。
言った、言わない、が重要視されることが多いが、本当に大事なことは、どんなつもりで言ったかだ。
言質を取ったり取られたりを繰り返すことが多い現代だからこそ、言葉の使い方には注意が必要だ。