ちょっと炎上してる件がある。
「学歴中心の履歴書から経験中心の履歴書へ」女性起業家の発言が10か月経って“炎上”
半年以上前のテレビ番組でのある発言がこのところ、ネット上で“炎上”している。“炎上”している発言は、TBS「サンデーモーニング」のコメンテーターとしてもおなじみの、起業家の平原依文氏の発言だ。
昨年10月31日に行われた衆院選に合わせて放送されたテレビ番組『若者100人と衆院選挙の夜に考える「格差を解決する方法」【選挙ステーション2021】』の中で、平原氏は若者の格差をなくすための解決策として「学歴中心の履歴書から経験中心の履歴書へ」と回答したが、これが今回10か月近く経って“炎上”しているのだ。
炎上してるらしいことは知っていたがまるで興味が湧かなかった。
しかし今日になって、たまたまある方の長文のツイートを見かけてそれを読んで一気に興味が湧いた。
その方は2年浪人して東大に入り霞が関の若手官僚になった方。
人生の活路を見出すために学歴を追い求めたが、現在の官僚は議員の横暴に振り回されるだけで経験を積み重ねることができないという強烈な葛藤が筆舌に尽くせない不快感となって表現されていた。
ついでに言うと文章が上手なので余計に感情移入させられるのだ。
匿名でTwitterを始めて1年未満なのにフォロワーは2万人を越えているのは、文章が上手なことが共感を集めているからだろう。
その共感のキーワードは絶望だ。
フォローしてるのは100名ほどで、ざっと見るとおそらく霞が関の住民が多そうで、何人か見たが、皆苦悩してる様子が感じられた。
自殺された電通の高橋まつりさんと繋がるのだ。
<参考>
同業界にいた女性の叫び「電通の高橋まつりさんは長時間労働に殺されたんじゃない」
冒頭で紹介した記事を読むと分かるが、学歴は意思を持つことで積み重ね実現することができその門戸は平等に開かれてるが、経験は門戸が平等に開かれてるわけでもなければ、実際の求められ方としては無いものねだりに限りなく近いので、プレゼンの巧みさで誤魔化そうとする傾向が強くなる。
つまり経験に対して真摯に質を重視して考えるような人にとっては無理難題の押し付けにしかならないのだ。
真面目すぎる、融通が効かない、ナイーブ過ぎるなどの反論もあるだろうが、それ以上に気持ちをガッカリさせる力を強く働かせるのが経験中心の履歴書へにはあるのだ。
経験中心とは言いながらも、経験や知見を積み重ねるための研究開発へのリソースを与えようとしない日本の産業界にも通じる。
勉強しかできないのが学歴ならば重視する必要は全くないが、経験や知見を追求しようとするならば、その土台となる学歴は必要なものとして無視できない。
未来に向かって評価できるような経験には一体何が該当するのだろうか?
強いて言うならそれは失敗の経験のはずだが…。
それを履歴書に書き連ねて何になるのか?
成功した経験の羅列をイメージしてるとするならば、そのほとんどは未来には通用しない過去の遺物に過ぎないはずなのに。