大したことなさそうに見える事やモノや人が、実はとても大きな存在だということを意味する表現。
表現としてはありふれてるが、その真の意味には誰もが気付けるわけではない。
それなりの遍歴や試行錯誤を経た結果、閃きや天啓のように気付けるものだとすると、一生縁がない人も少なくないだろう。
遍歴や試行錯誤が必要という意味では、まさに人生に無駄は無いということになる。
望んだものではないがすべてはそこに辿り着くためだったと思えることがされど〇〇の真髄だとすると、そんな〇〇は目の前にあるのに簡単には気付かない、いや気付けないということになる。
たぶん壮大なことや難しいことではないだろう。
現代社会では非効率だとしか思われないかもしれない。
逆に考えると、最短ルートで何もかも手に入れたような人が、最期に自分は欲しいものを何一つ手に入れられなかったと思い知ることに通じるとするならば、人生はやっぱりおもしろそうだ。
何もかも失ったと失意の底にいる人が、欲しいすべてのものを手に入れていたにも通じるだろう。
このような場合の、失ったものや手に入れたものというのは哲学的だ。
つまり気持ちの問題だ。
たぶん脳が反応するのとは違うメカニズムの気持ちがそうさせるのだろう。
小さな何かが気になってる時は、されど〇〇たかが〇〇を思い出そう。
有意義な時間が過ごせるはずだ。