日本のドラマや映画を今と昔で比較すると、配役の決定がオーディション的かオファー的かの違いがあるように感じた。
昔が必ずオーディションを経てキャスティングが決定されたわけではないが、脚本や演出という動かし難い絶対的な存在にいかに役者が寄せて行けるかが問われていたように感じる。
一方で、今の日本の作品は主役を含めた配役はあらかじめオファーで決定済みで、主役を演じる者の演技力が足りなければいくらでも脚本を書き換えあるいはカメラワークや映像処理で誤魔化すようになったとしか思えない。
あくまでも日本に限った話だが、大半の観客や視聴者は今も昔も主役を見ることが目的で、主役が活きる脚本であればどんなストーリーでも構わないから展開は安直な感動の安売りになる。
一方で、あくまでも脚本へのこだわりやリスペクトが全てという作品も少ないながらある、そういう作品では役者の個性に照らし合わせると予定調和的であっても、個性を活かした高度な演技が展開される。
良いとか悪いとか好きとか嫌いはさて置いて、脚本という筋書きがある分野や世界でもその展開は両極端があるのだ。
それに対して人生は筋書きや運命がすでにあるかのようだが、実は無い、はずだ。
しかし、現実社会では事業計画とか達成目標を設定し実現することが求められる。
死ぬことすら予定や計画を立てることが求められているかのようだ。
だから、皆が筋書きを立て行動する、もちろん主役は自分自身だ。
自分で筋書きを立て主役を演じているが、心の中で『このドラマに観客は自分以外にいるのか?』と思ってるはずだし、こんなドラマお金もらっても自分すら見たくないという出来にしかならないはず。
そんな筋書き社会の主役が、詐欺になってしまった。
ここで言う詐欺には、犯罪ではないが客が望むものではないと知りつつ商品やサービスを売る合法ビジネスも含められる。
さて、そんな筋書き社会の現代に筋書きを超えた存在に思えるのが大谷翔平さんだ。
低迷が話題になる野球の救世主かと思われたが、子供の野球離れは防げてなさそうだし、高校野球に関しては皆さんご承知の状態だ。
そもそも公園でのキャッチボールが人に迷惑をかける行為として禁止されるという筋書きが実行中なのだから、野球の衰退は止まるわけがない日本では。
では、現在の猛暑はどのような筋書きの元に展開してるのだろうか、それとも筋書きのないドラマが起きているのだろうか。
人間とは、身の回りで起きる出来事の全ての背後には、仕組まれた筋書きや脚本があると思い込む生き物なので、それを知りたくてしょうがなくなる。
何に悩んでるかわからないが、頭からモヤモヤが取れないような時は、大抵の場合自分が納得できそうな筋書きを探してる状態なのだ。