たぶん誰も不思議には思わずに、むしろ『やっぱりね』と思ったかもしれない。
ピン芸人のお笑いコンテスト『#R1グランプリ』さん、生放送で行われる決勝戦にてなぜか“出番前”の芸人の点数が一瞬表示される
— 滝沢ガレソ🪚 (@takigare3) 2023年3月5日
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その後、表示された点数をその芸人が獲得しそのまま優勝
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≪デキレース丸出しやん≫≪リハーサルの点数か?でも同じ人物が同じ点数を取るのはあり得ないだろ≫と話題に pic.twitter.com/vDNdA9pnjp
日本では芸事のキャスティングにおいてのオーディションが根付かないと言われる。
しかし、形式的なオーディションは盛んだ。
その代わりに芸能事務所が力を持つし、伝統芸能においては世襲が維持される。
冒頭の出来事は不思議なことではないが、『もっと上手にやれば良かったのに』という案件だ。
予定調和の国日本では、主催者が望むようにイベントは実行したがるのでハプニングや番狂せが嫌がられる。
大勢の観客の目の前で行われるスポーツなどで行われる予定調和は八百長と呼ばれ、あまり露骨なことはやれないとされるが、それでも八百長は行われ、公式には八百長ではなく無気力試合として扱われる。
相撲界のように『注射』や『ガチンコ』という独自の隠語を持つ場合もある。
公共工事における談合も八百長だ。
受験における裏口入学。
その他、コネと呼ばれる人間関係で差配されることは世の中にはたくさんある。
どのような呼び方をするかはともかく、台本や筋書きがないはずの現場にも筋書きや台本が存在するということだ。
しかし、予定調和や八百長の世界にも番狂せは起きることがある、例えば鶴の一声。
鶴の一声が成立する場合は、最も権力を持った人が、組織としての八百長を良しとしない場合や、個人として別の八百長を展開するような場合だ。
一方で、世の中には選ぶに当たってどちらでも良い、あるいはどれでも良いという場合も少なくない。
だとすれば、別の要素が介入する余地はとても大きくなる。
コネや賄賂は、無いよりはあった方が良いと思う人は少なくないはず。
SNSの流行で多くの人が夢中になってるのがいいねやフォロワーの獲得数というのは、それが一種のオーディションとして機能してるからでもあるだろう。
オーディションは何のために存在してるのか?
それは、エントリーするためであり、デビューするためだ。
スタートラインに立つようであり、ゴールのようでもあるのがオーディション。
野心や目的のあるところには必ず登竜門としてオーディションが存在する。
やる気や目的のある人ほど、オーディション的な何かの存在を感じているはずだ。