平等なものと検索すると、万人に平等に与えられてるものは 「時間」と「死」だけのように見える。
今回は、平等な時間について。
平等の反対は、一般的には不平等だが、どんな時に不平等を感じるかと言えば差別を感じる時だ。
差別を感じる時には、多数派と少数派を意識する事が多い。
少数派?多数派?あなたの変人偏差値が診断できる『あなたはどっち?究極の選択!』
「これって常識でしょ?」と思っていたことが意外とマイナーだったりして、世間とのギャップにビックリしたことはありませんか?
平等な「時間」で得をしたいと思った場合、最初は時間を無駄にしないと考えるだろう。
無駄にしないとは、辞書的には「有益」で実際には「有効活用」だろう。
時間の有効活用とは、空いた時間を何に当てるかと考えることで、日本人に馴染みがあるのは、農業における二期作や二毛作のように、最適なタイミングのズレを利用し倍の収穫を上げようとするものがあるが、一見合理的に感じるが実は大きな欠点がある。
現代人にはピンとこない話だろうが、二期作や二毛作をするとあっという間に土地が痩せ、作物が育たなくなるのだ。
だから土地の回復のために作物を作らない時期を設けたり、過剰な肥料などに頼らざるを得なくなるという皮肉なトレードオフが生じるのがおもしろい。
諺通り、『無理が通れば道理が引っ込む』だ。
技術やテクノロジーは、空いた時間を増やすために、時間短縮を目指し、空いた時間で更に生産を増やす、そうやって生産が増えることを生産性が上がると呼んでいる。
時間短縮が生産性であるならば、これも生産性に関係してることになるかもしれない。
世界の大学ランキング2位のケンブリッジ大学で、試験にノートPCやiPadなどの持ち込みを許し、解答を手書き文字ではなく、キーボード入力させてはどうかという検討が行われているという。
学生からの要望ではなく、採点する側から、解答用紙の学生の手書き文字が下手で判読できないという文句が上がっているためのようだ。
生産性を上げた結果、手書き作業が減り、字を書くことが下手になったからというトレードオフがこんなところにも生じている。
一般的には、空いた時間を効率良くお金に変えることに対して使われるのが生産性ということばだが、日本には「時短」ということばが生産性とは別の意味でを使われ、統計上の「働き過ぎ」を是正するためだけに表面的な労働時間削減を目指したりするなど、焦点がぼやけてきてしまう傾向があるようだ。
「生産性向上を現場に丸投げ」する会社の末路 2017年10月4日
ここであるデータをご紹介しましょう。
アメリカン・エキスプレス・インターナショナルによる「世界9市場で聞く顧客サービスの意識調査」を見ると、「購入先の変更を考える前に何回までならひどい顧客サービスを我慢できるか」との問いに、
「一度でもひどいサービスを受けたら直ちに変える」と答えた日本人は56%、ほかの国はみな20%から30%の中、断トツです。
さらに、受けているサービスに対する満足度を見ると、「期待を上回る」と「期待どおり」を合わせても45%と半数を割り、群を抜いて低い満足度です。お客様は神様と唱えてきた結果は、はたして本当にバランスがとれているのでしょうか?
サービス担当者に求める態度として、他国は総じて「効率がよいこと」であるのに対し、日本だけは「礼儀正しい」が最も重要視されています。
生産性が高まったり、時短の影響で、空いた時間が増えると、その時間をサービス業が狙うが、そんなサービス業は、空いた時間が少ないブラック現場になることが多い。
サービス業が、表看板に掲げているのは様々な種類があるが、お客の空いた時間の受け入れ先になるために日夜奮闘していることだけは確かだろう。
だからターゲットは誰でもかまわない。
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自立した学習ができない子どもになる
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運動やピアノの方が重要
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子どもが行きたいと言うまで待つ
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映像や通信教材は試したか
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必要なのは中学受験の算数くらい
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古い時代の価値観が植えつけられる
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負けグセがつく
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個別指導塾は最悪
これも、時間を有効活用して生産性を高めるのが目的なのだろうが、目に見えないトレードオフが働き逆効果だろう。
小さい頃から、勉強が好きで、勉強が出来る子供は、家庭の中に勉強したくなる要素がいっぱいある環境で育っていて、その環境を家庭の外に求めてもうまく機能しないということだろう。
そういう意味では、時間は平等だが、環境は不平等だ。
時間短縮による生産性のアップに人間(頭脳ではなく人力の意)が寄与することが限界に近づいてるように見えるが、そうすると平等な時間とどう向き合えばよいだろうか。
生産性の追求と相性が良いのは、機械化やIT化できるもので、人間が主役になるものは相性が悪い。
人間はどんなに環境が素晴らしくても疲れるから休憩や休息が必要になるが、機械やコンピューターは温度管理など適切な環境が保てれば疲れ知らずで動き続けるという点が違う。
疲れて休息が必要になる人間に、生産性を当てはめようとすると、時間短縮は的外れな目標になるだろう。
じゃあどうすれば良いのか?
ここで、本当はスポーツのネタを引用し表現しようかと思ったが、適切なものが見つからなくて手が止まり、この展開で話を広げるのは止めようかなと思ってたどり着いたのが、ギャンブルやバクチだ。
人間は疲れると書いたが、それ以外に感情を持ち、おまけにバイオリズムがあったり、疲れてないときでも、日々刻々と発揮するパフォーマンスが変動しているのだ。
もし、人間に生産性を求めるならば、この不安定さを逆手に取るしかない。
ここで出てくるのがギャンブルの勝ち方から学ぶというやり方だ。
「当たるも八卦当たらぬも八卦」で運が全てだと思われてるギャンブルをどこまで予測可能に持っていけるかが生産性に通じる。
大きく3つある。
1.勝つための準備を誰よりも入念に行う
多くの場合、情報の収集を意味するが、ポイントは”誰よりも”という点で、つまり情報的に1番有利であることが求められる。
2.勝ちは大きく、負けは小さく
勝ちは大きくと言うのはイメージしやすいが、博才がある人はトコトン勝ちに行くが、大勝ちになれてない人は「足るを知る」気持ちが働くことがあるが、これはどちらでも構わない。
問題は、負けを小さく出来るかだ。ビジネスの世界では損切りとも言われるが、これが上手に出来ることが重要で、博才がある人はダメだと思ったらあっさり手を引けるが、博才のない人に限って損を取り戻そうと引くべきタイミングでバクチを打ち失敗する。
一種のセンスだろうが、鍛えることが出来るかは不明、だから事前に損切りラインを設定しそれを守るしかないが、煩悩がその邪魔をする。
負けを小さく抑えて終わりではない、こんな言葉がある。
『勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし』、松浦静山が書いた剣術の指南書にある言葉だ。
負けは小さく抑えながら、そこから学ばなければならない。
3.ずっと続けるから勝つ(勝つまで続ける)
2.と決定的に矛盾する要素だ。ここにギャンブルの恐ろしさがあるのかもしれない。一般的にはある程度の資金を準備し無駄遣いをしないということを意味するが、減っていく資金を気にしながら平常心を保つという意味では経営者と同じ立場だろう。
万人に平等に与えられた「時間」をどのように有効活用すれば良いかをギャンブラーの行動にヒントを得ながら考えたが、そもそも論として、勝負を行う土俵をどこに設定するかが重要だと思いが至った。
勝負は、長時間続けられる土俵の上で行えということだろう、土俵を間違えていることに気付いてないことは案外多いかもしれない。
時間は平等だが、与えられた環境は不平等だから、自分の環境を意識して土俵を設定しないと、生産性もなにもあったもんじゃないだろう。