違う見方

これから時代はどう変化するのかを時事ネタを交えて考察。考える際のヒント。気付くためのヒント。時には詭弁を弄します。今書いてることと、以前書いた内容が食い違う場合は、遺言と同じで新しいものが私の考えです。

変化する『内輪ウケ』!

異なる言語環境で協力が必要な場合、統一言語を採用するか、全く新たなコミュニケーションが必要になる。

 

グローバル化の進行は、統一言語を英語とすることでコミュニケーションの齟齬を回避してきた。

 

同じ人でも、英語で話す時と日本語で話す時では、思考や表現が変わることは多いだろう。

 

同じ理屈で、方言で話す時と標準語で話す時にも違いが生じるだろう。

 

広くアンテナを張ってるつもりでも、思考が言語で行われ、生活する地域や、社会的な属性や付き合う人々がどういう人かによって、知らず知らずのうちにアンテナの広がりが制限されてることがある。

 

思考が制限されることが先なのか、付き合う人などの外部要因が先なのかは別にして、各々が自分の価値観のテリトリーや守備範囲を持つようになり、その許容範囲の中で居場所を求めていく。

 

考えることだけでなく、感じるという固有のことにも当てはまる。

 

"笑いのツボ"が同じか違うかなんて些細な違いが、人間関係を良くしたり悪くしたりすることもある。

 

推理小説に出てくる名探偵は"真実(真相)を追求するが、同じく事件解決を狙う警察は真実や真相よりも内輪の理屈や建前で行動し対立関係になる。

 

犯人を探すように答えは一つしかないことですら、全然違う答えが導き出される事がある。

 

 

 

"笑いのツボ"のように答えが一つとは限らないことに関しては、多様性が存在し、ツボにハマった人は本気で笑うので一目瞭然性が感じられるが、その一目瞭然性は必ずしも共有されないので、共有できる人とは価値観が共有できたという錯覚に近い感情が生まれることもあり、そんな時は強い共感を感じ合う。

 

利害関係が無いことに関する"同じか違うか"だけでも人間は結びつく。

 

間も無く進学や就職や転勤などの新スタートの時期になるが、そこで出会った人と笑いのツボが一緒だと人間関係は良好なスタートを切るだろう。

 

職場で上司と笑いのツボが同じというだけで出世する人もいるかもしれない。

 

 

 

一方、笑いのツボように同じか違うかの2パターンではなく、テーマが「この先どうなるか?」だったりすると、いくつかのパターンに収束する。

 

  • テーマに真剣に向き合い答える
  • 自説を主張したり、自分を売り込むことに躍起になる
  • 誰かの代弁者になる

 

3つの例を上げたが、それぞれに更に複数の選択肢がある。

 

そしてそのどれもに一定の支持が集まる。

 

そんな時の支持する側の背後には、"共感"や"利害の一致"という感情のグラデーションが描かれている。

 

そしてこの感情のグラデーションに応じて新たな人間関係や繋がりが出来上がる。

 

やがて、"共感"や"利害の一致"に権力や力関係が介入して来ると、強固な内輪ウケしか生み出さなくなる。

 

内輪ウケにも二種類あり、一つは予定調和(最近風に言えば忖度も含まれる)と言われるもので昔からあるものだ。

 

最近では代表例がフジテレビ。

 

フジテレビ凋落は「内輪ウケ・世間ズレ・自己保身」が原因か
週刊女性2016年8月2日号2016/7/24

「'80年代、フジテレビは“庶民的”なテレビ局でした。当時の番組に共通する特徴は、反権威主義でリアルを追求するところ。当時、個性化が進んでいた若者たちは権威主義的に教員や親から考え方を押しつけられることに対し、鬱屈した感情をため込んでいたのでしょう。

 

しかし、お台場への移転などをきっかけに、フジテレビは“エリート”になってしまった。

「いつの間にかおごりが生じ、成功体験から抜け出せず、独善的な番組作りをするようになりました。それを省みることができなくなり、視聴者ではなく“番組制作者本位主義”、いわゆる内輪ウケの姿勢が根づいていたことも独善性に拍車をかけます。その結果、世間の変化に目を向け、耳を傾け、謙虚に寄り添おうという気持ちが薄くなり、感覚がズレてしまったのです」

 

 

このタイプの内輪ウケは時代遅れな空気感を醸し出すようになったので、もうウケない気がする。

 

 

これに対し、新しいタイプの内輪ウケは思想的なものだ。

 

思想的リーダーが世論を動かす 誰でもなれる言論の作り手

ドレズナーによれば、思想界の様相を大きく変化させているのは、権威への信用低下、政治的二極化、経済格差の拡大という3つの要因であるという。

 

まず、権威への信用低下が思想的リーダーという新種の知識人に扉を開いた。

 

また、政治的二極化はこれまでの歴史のなかでもたびたび起きてきた現象ではある。しかし、知的独立心の強かった従来の知識人とは異なり、現代のインテリは、イデオロギー的に自分たちと同質なパトロンを探して後援を取りつけ、思想性を打ち出したシンクタンクで働くのにためらいを覚えないために、過去に類を見ない状況が出現している。

 

そして、最大の要因である経済格差の拡大によって、圧倒的な財力を持つ現代の富裕層は、知識人や団体に資金を提供し、自分たちの考え方と整合する思想を語らせる傾向がこれまで以上に強くなった。こうした流れは、大学やシンクタンク、民間企業にも破壊的な効果をもたらしている。もちろん現代の言論市場には負の側面も存在する。

 

 

思想的リーダーは、他人を評論して疑問を呈するのではなく、独自の思想や世界観をつくりあげて、その世界観を布教していくような人のことを指している。世界観の伝道者であり、思想の指導者。知識人ほどには知識を持っていないことが多いが、自分の思想には絶対的な自信があり、その思想が世界を変えると信じているような人だ。そして彼らは、もはや古い権威にはとらわれていない。

 

 

従来の内輪ウケは、相対的な評価が全てで、一定の水準を満たした後は維持するだけで充分という慢心に似たおごりを生み出した。

 

一方新しい内輪ウケは、影響力を広く深く持つためには絶対性が大事で、相対的な変化で一喜一憂することは良しとしない。

 

内輪ウケとは、一般に「井の中の蛙大海を知らず」に似た意味で使うが、当事者には井戸の外側が見えてない。

 

これからの内輪ウケには、外側が何かを理解する能力も求められる。

 

外側に何があるか分かった上で、内側を選択するという覚悟もセットで要求される。

 

何も考えてない時は、自然に内側を向いている。

 

自分の属性の外側で何が起きているかを理解することが大事になる。

 

 

内輪ウケも、時代と共に変化して行く。