以前、心はどこにある?というエントリーを書いたが、また心について考えてみたいと思うキッカケが生まれた。
そのキッカケを紹介する前に、『心』はどのように捉えられているかについて整理してみたい。
大学に入って心理学を勉強し始めました。「私には心がある」という感覚に疑いはないのですが,その心はどこにあるのでしょうか。やはり脳でしょうか。
脳科学者である大谷悟さんは,ためらいながらもこのように言います。「(こころという感じは)からだと環境にまたがって発生・存在している」(大谷,2008, p.226)。心は身体―環境システムの別称である。これをあなたの質問への回答としておきましょう。
Google Trendsで"心と体"と"心の病"を検索可能な2004年以降で比較すると、
"心と体"と"心の病"には、無関係とは言えない関係性が感じられるような動きが見える。
おもしろいのは、どちらも一部の地域で顕著なのだ。
大雑把なはなしなのだが、心を意識したり、心の悩みを持つのは、都市生活者の悩みなのかもしれないし、あるいは都市生活の何かが原因となって生まれているのかもしれないと感じる。
心に影響を与えそうなワードとして浮かぶ、"安心"、"不安"、"ストレス"をGoogle Trendsで比較すると、
いずれも関心は緩やかに上昇中で、全国的だ。
多くの人々が、心と向き合おうとしてる姿が見えるようだ。
心を意識し、体と向き合う姿を想像すると、"瞑想"や"ヨガ"というワードが浮かぶ。
これらのワードも加えて比較すると、
知識を増やし過ぎた現代人は、原因があるから結果が生まれると結論づけ、その原因を取り除こうと悪戦苦闘して、負のループに陥り、心と体がおかしくなるのかもしれない。
今日、こんなことを考えるキッカケになったのが次の記事だ。
子どもがある日突然眠り込んで起きなくなる「生存放棄症候群」がスウェーデンだけで発生
スウェーデンでは過去20年間に、あきらめ症候群の子どもたちが多数現れてきました。あきらめ症候群の特徴は、歩いたり話したりするのをやめてしまい、場合によっては目を開けることさえやめるとのこと。そして、この症状は「亡命を望む家族の子どもにだけ発生する」という特徴があることがわかっています。
あきらめ症候群から回復するカギは「安心感」であり、そのプロセスを加速させるのは「永住権」だとソフィーを担当するラース・ダグソン医師は考えています。「子どもには何らかの形で希望があり、生きることを感じられなければなりません。それこそが、これまで私が見てきたすべての症例で、状況を変えた理由を説明する唯一の方法です」とダグソン医師は述べています。
出典不明だが、以前こんな話を読んだことがある。
「この世で、最も強い人はどんな人か?」を知るために、ある調査が行われた。
最も強いとは、最も過酷な環境を生き延びたと定義し、最も過酷な環境として選ばれたのが、戦争での捕虜体験がある人だ。
仮説として、体を鍛えてる人、頭が良い人などいくつかのタイプが予想されたが、全てハズレ、予想されていた人々は、心に大きなトラウマを抱え、後の人生を満足に楽しめなくなってる人たちがほとんどだったらしい。
そんな中で、少数の人が、捕虜体験が全く後の人生に負の影響を与えていないことがわかった。
彼らは、特別肉体的に強いわけでも、頭脳が優れてるわけでもなかった。
彼らの、食生活や趣味嗜好など細かく調べてわかった唯一の共通点が、性格だった。
些細な出来事に、喜びを感じられる性格だったのだ。
彼らは、捕虜収容所での生活の中の些細なことに、例えば鉄格子の隙間から空が見えてうれしかったや、壁の隙間に生えている雑草を見て、「お前も頑張ってるな」とうれしかったなど、それらの、どうってことない体験を喜びに感じることができる性格だったらしい。
現代人の悩みの多くは、多くのことを望みすぎるから生まれているのかもしれない。
あれも、これもと望むから、どんどん心と体が弱くなるのかもしれない。
この世で最も強い人は、些細なことで喜べる人だ。
どうせ生きなきゃいけないんだったら、強い人になりたい!